ゼロは発見された数字?インドが生んだ大発明
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ゼロは、はじめから数として扱われていたわけではありません。空いた桁を示す記号なら、紀元前のバビロニアにもありました。ゼロを足し算や引き算の相手になる「数」として書き記したのは、628年、インドの数学者ブラフマグプタです。
その後もゼロは、アラビア世界を経てヨーロッパに根づくまで、さらに1000年近くかかりました。ゼロは地面から掘り当てた発見ではなく、何百年もかけて形を変えてきた発明です。この記事では、その道のりを時代順にたどります。
紀元前のバビロニア、空いた桁の印
話は約3700年前のメソポタミアから始まります。バビロニアの人々は60進法の位取りで数を書いていました。ところが1000年以上のあいだ、ゼロにあたる記号を持っていませんでした。
紀元前1700年ごろの粘土板では、空いた桁をただ詰めて書いています。私たちの数字で言えば、2106と216を区別できないような状態です。読む人は前後の文脈から、どちらの意味かを判断するしかありませんでした。
やがて空いた位置に印を置く工夫が現れます。紀元前700年ごろとされるキシュの粘土板には、かぎ形の印を3つ並べた例があります。紀元前400年ごろになると、くさび形の記号2つで空いた桁を示す書き方が広まりました。
ただしこの印は、数の途中にしか置かれませんでした。末尾には使われなかったため、「23」と「230」にあたる数は書き分けられないままです。この時点のゼロは、数ではなく「ここは空いている」という目印でした。
2世紀〜6世紀、記号はあっても数ではない
紀元2世紀、ギリシャ系の天文学者プトレマイオスは『アルマゲスト』で、バビロニア式の60進法に「O」の形の空位記号を組み合わせました。数の末尾にも置いた点で、バビロニアより一歩進んでいます。それでも計算の対象ではなく、空欄の印という役割は同じでした。
インドでは500年ごろ、数学者アリヤバータが位取りの仕組みを使って計算していました。彼はゼロの記号を使わず、桁の位置を「カ(kha)」という言葉で表しています。
位取りの値打ちは、ローマ数字と比べるとよくわかります。ローマ数字では1977をMCMLXXVIIと書くため、桁をそろえた筆算ができません。0から9までの10種類の数字と位取りがあれば、桁をそろえて機械的に計算できます。この仕組みを成り立たせるには、空いた桁を埋める記号が欠かせません。
なお、遠く離れた中米のマヤでも、665年までには20進法の位取りとゼロの記号が使われていました。ゼロの発想は、1か所だけで生まれたものではありません。
628年、ブラフマグプタがゼロを数にした
ブラフマグプタは598年に生まれ、インド西部のビッラマーラ(現在のビンマール)で30歳のときに『ブラーフマスプタシッダーンタ』を著しました。全25章の天文学書で、その中にゼロの計算規則が書かれています。
彼はゼロを「ある数から同じ数を引いた結果」と定めました。ある数にゼロを足しても引いても、その数は変わらない。どんな数もゼロを掛ければゼロになる。「何もない」を計算の答えとして認めたところに、この本の新しさがあります。
ゼロが記号から数へ変わったことで、負の数も同じ土俵に乗りました。ブラフマグプタは正の数を「財産」、負の数を「借金」と呼び、「借金からゼロを引いても借金のまま」といった規則を示しています。
ただしゼロで割る計算だけは、うまく説明できませんでした。彼は「ゼロをゼロで割るとゼロ」と書いていますが、これは今では誤りとされています。830年ごろの数学者マハーヴィーラは「ゼロで割っても数は変わらない」と書き、これも誤りでした。500年以上あと、12世紀のバースカラ2世は「ゼロで割ると無限大になる」と考えましたが、これも矛盾を生みます。ゼロで割る問題は、何世代もの数学者を悩ませ続けました。
683年と876年、石に刻まれたゼロ
本に書かれた規則とは別に、実際に使われたゼロの証拠も残っています。長く「年代のはっきりした最古のゼロ」とされてきたのは、インド中部グワリオルの寺院にある876年の碑文です。碑文には187×270ハスタの庭と、毎日50個の花輪を納める約束が記されています。270と50のゼロは、今の数字とほとんど同じ形です。
ところが、これより古いゼロが東南アジアで見つかっています。カンボジアのサンボールで出た碑文には、サカ暦605年(西暦683年)という日付が刻まれています。1931年にフランスの研究者ジョルジュ・セデスが、その真ん中の記号を空位のゼロだと結論づけました。スマトラ島の3つの石碑にも、683・684・686年にあたる日付が残っています。グワリオルより約200年古いゼロです。
写本をめぐる騒ぎもありました。1881年、現在のパキスタン北西部のバクシャーリー村で、農民が数学の写本を掘り出しました。オックスフォード大学のボドリアン図書館が所蔵するこの写本は、2017年の放射性炭素年代測定で、1枚が224〜383年と出ました。「最古のゼロより500年古い」という発表は世界を駆けめぐりました。
しかし研究者からは、発表が通常の査読を経ずに行われたことや、測定の前提への疑問が相次ぎました。同大学は2018年に測り直し、2024年10月に結果を公表しています。新しい年代は799〜1102年で、224〜383年とされた1枚も931〜1032年に改められました。最古のゼロという説明は取り下げられています。
アラビアを経てヨーロッパへ
インドで育ったゼロと位取りは、アラビア世界の学者を通じて西へ伝わりました。バグダッドで活躍したフワーリズミーは813年にインド数字で天文表を作り、825年ごろにはゼロを含む計算法を説明する本を書いています。この本は12世紀にラテン語へ訳されました。
名前もこの道のりを映しています。サンスクリット語で「空」を意味するシューニャがアラビア語でスィフルと訳され、イタリア語を経て英語のzeroになりました。英語の文献にzeroが現れる最も古い例は1598年です。
ヨーロッパに広く紹介したのは、イタリアのレオナルド・フィボナッチです。1202年の『算盤の書』で、インドの9つの数字と0の記号を示し、ローマ数字より計算に便利だと説きました。それでも彼は、0を他の数字とは別の「記号」と呼んでいます。
受け入れは急には進みませんでした。1500年代に3次・4次方程式を解いたカルダーノも、ゼロを使わずに議論しています。ヨーロッパでゼロが当たり前に使われ出したのは、強い抵抗を経た1600年代のことです。
年表で見るゼロの道のり
| 年 | 場所・人物 | できごと |
|---|---|---|
| 前1700年ごろ | バビロニア | 位取りはあるが、空いた桁の印がない |
| 前400年ごろ | バビロニア | くさび形2つで空いた桁を示す(末尾には使わない) |
| 2世紀 | プトレマイオス | 「O」の空位記号を末尾にも置く |
| 500年ごろ | アリヤバータ | ゼロの記号なしで位取りの計算 |
| 628年 | ブラフマグプタ | ゼロを数として扱い、計算規則を示す |
| 683年 | カンボジア・スマトラ | 年代の確かな碑文にゼロが刻まれる |
| 825年ごろ | フワーリズミー | インド式の計算法をアラビア語で説明 |
| 876年 | インド・グワリオル | 270と50のゼロを刻んだ碑文 |
| 1202年 | フィボナッチ | 『算盤の書』でヨーロッパに紹介 |
| 1600年代 | ヨーロッパ | ゼロが広く使われるようになる |
並べてみると、空いた桁の印からゼロが数になるまで、約1000年かかっています。さらにその数がヨーロッパの日常に根づくまで、もう1000年近くかかりました。
次に0と書くとき、その小さな丸がバビロニアからインド、アラビアへと旅してきたことを思い出してみてください。
参考にした資料
- MacTutor(セント・アンドルーズ大学) — A history of Zero
- オックスフォード大学 GLAM — Carbon dating finds Bakhshali manuscript contains oldest recorded origins of the symbol 'zero'
- Oxford University Research Archive — Radiocarbon dating of the Bakhshālī manuscript (2024)
- MacTutor(セント・アンドルーズ大学) — Brahmagupta
- Scientific American — The Elusive Origin of Zero
- Wikipedia — Bakhshali manuscript
- Wikipedia — 0