雑学

ストーンヘンジの巨石の運び方は今も謎のまま

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
ストーンヘンジの巨石の運び方は今も謎のまま

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ストーンヘンジの石が「どこから来たか」は、ここ十数年でかなり分かってきました。分かっていないのは「どうやって運んだか」のほうです。

20トンを超える石を約25キロ、6トンの石を750キロ以上。車輪も重機もない時代のこの移動は、実験で「できそうだ」とは示されても、実際の方法はまだ確かめられていません。この記事では、ストーンヘンジについて浮かびやすい疑問を順に取り上げます。

ストーンヘンジは、いつ造られたの?

一度に完成したのではなく、何段階にも分けて造られました。遺跡を管理するイングリッシュ・ヘリテッジによると、紀元前3000年ごろ、まず円い溝と土手が掘られます。道具は、シカの角で作ったつるはしでした。

溝の内側には、オーブリー・ホールと呼ばれる56個の穴が並びます。紀元前3000〜2800年ごろ、火葬した人の骨が溝や土手、この穴に埋められました。最初のストーンヘンジは、墓地でもあったのです。

写真でおなじみの石の組み上げが始まるのは、紀元前2500年ごろです。溝が掘られてから約500年たっていました。後で触れる中央の祭壇石も、紀元前2620〜2480年ごろの第2段階で据えられたとみられています。

大きな石は、どこから来たの?

外側に並ぶ大きな石は、サーセン石という硬い砂岩です。1本の重さは、立っている石でおよそ20トン、最も重いもので約30トンあります。もともと約80本あり、いまは52本が残っています。

産地が絞り込めたのは2020年です。イギリスの研究チームは、52本すべてを持ち運べるエックス線分析装置で調べ、50本が同じ化学組成だと突き止めました。決め手になったのは、1958年の修復工事で石58番から抜き取られた筒状の試料です。穴を開けた会社の社員がアメリカへ持ち帰っていたもので、2018年に息子たちの手でイングリッシュ・ヘリテッジへ返されました。

この試料を、イギリス南部20か所のサーセン石と比べた結果、一致したのが北へ約25キロのウェストウッズでした。論文は科学誌サイエンス・アドバンシズに載っています。60年前に持ち出された「かけら」が、産地探しの鍵になった訳です。

小さな石は、どこから来たの?

内側の小さな石はブルーストーンと呼ばれ、1つ2〜5トンです。最大で80個ほどが、ウェールズ南西部のプレセリ丘陵から運ばれました。イングリッシュ・ヘリテッジによると、道のりは250キロ以上あります。

プレセリ丘陵のワウン・マウンでは、少なくとも6本の石柱が、先史時代に抜き取られた跡が見つかっています。一度ウェールズで立てた石を、のちにストーンヘンジへ移したのかもしれません。

運び手の手がかりも出てきました。2025年6月に考古学誌に載った研究では、1924年にストーンヘンジの溝の底から出た牛のあごの骨を調べています。歯の同位体を分析すると、この牛はプレセリ丘陵のあたりで育った可能性が高いと分かりました。研究に加わった考古学者パーカー・ピアソンは、牛が石を引いた可能性もある、と述べています。

真ん中の祭壇石は、どこから来たの?

中央に横たわる祭壇石は、長くウェールズ産と考えられてきました。ところが2024年8月、科学誌ネイチャーに載った研究がこれをくつがえします。

オーストラリアのカーティン大学などの研究チームは、石のかけらに含まれるジルコンなどの鉱物の粒の年代を測りました。ジルコンの多くは10億年以上前の岩から、アパタイトとルチルは約4億6000万年前のマグマの活動に関わる岩から来ていました。この組み合わせに最もよく合ったのは、スコットランド北東部の「オーケイディアン盆地」の古い赤色砂岩です。重さ約6トンの石が、少なくとも750キロを旅したことになります。陸路で引くのは難しいとして、研究チームは船で運ばれた可能性が高いとみています。

翌9月には、同じ研究者たちが、スコットランド北方のオークニー諸島の石と比べた結果を発表しました。オークニー本島ではないと分かり、北東部のどこなのか、絞り込みが続いています。

ストーンヘンジの3種類の石(イングリッシュ・ヘリテッジ、各論文をもとに作成)
石重さ産地距離
サーセン石約20〜30トンウェストウッズ(2020年に特定)約25キロ
ブルーストーン2〜5トンウェールズのプレセリ丘陵250キロ以上
祭壇石約6トンスコットランド北東部(2024年に判明)750キロ以上

どうやって運んだの?

有力なのは、木のソリに石を載せ、丸太の上を引いたという説です。2016年、ロンドン大学(UCL)の学生バーニー・ハリスは、この方法を実験で試しました。重さ1.1トンの石をカエデの仲間の木で作ったソリに縛り、シラカバの丸太を並べた道の上で引いたのです。

15人は要ると見込んでいたところ、10人で引けました。速さは5秒で約3メートル、人が歩くほどの速さです。この結果から、2トンのブルーストーンなら20人ほどで運べた可能性がある、と見積もられました。

ただ、こうした実験から分かるのは「少なくとも何人いれば動くか」という目安です。実験は平らな地面で行われ、丘や川の多い250キロの道のりとは条件が違います。木のソリや縄は朽ちて残りにくく、実際の道筋や人数、かかった日数はまだ確かめられていません。20トンを超えるサーセン石となると、必要な人数はさらに大きく変わります。

重い石を、どうやって立てたの?

イングリッシュ・ヘリテッジによると、まず片側を斜めにした大きな穴を掘り、木の杭で内側を補強しました。石を斜面から穴へ滑り込ませ、植物の繊維で編んだ縄と、おそらく木で組んだA字形の枠を使って引き起こします。最後に、穴のすき間を石くずで固めました。

上に載せる横石は、木の足場で少しずつ持ち上げたとみられます。固定のしかたは木工に似ています。縦石の頭の出っ張り(ほぞ)を横石の穴(ほぞ穴)にはめ、横石どうしは凹凸をかみ合わせてつないでいます。表面は、サーセン石や火打石のハンマーで叩いて整えました。

何のために造ったの?

はっきりした答えはありませんが、太陽を強く意識していたことは確かです。夏至の朝に石の輪の中心に立つと、太陽はヒールストーンという石のすぐ左から昇ります。冬至の夕方には、いちばん高い3つ組みの石の間に日が沈むように並んでいました。

近くのダリントン・ウォールズは、建設や祭りに集まった人々が暮らした場所とされます。出土した豚の骨を調べると、多くは真冬に食べられていました。遠くから連れてこられた牛や豚もいて、冬至のころに大勢が集まり、宴を開いたと考えられています。イングリッシュ・ヘリテッジは、ストーンヘンジは暦以上のものだったとしています。

石の並び方や、時代ごとに形を変えていった遺跡の全体像は、文章より図で見るほうが掴みやすい話です。世界のほかの巨石遺跡や古代の建造物と見比べたいなら、写真の多い世界遺産の図鑑が手がかりになります。

まとめ

ストーンヘンジの石は、3か所から集められました。近くの約25キロ先と、ウェールズの250キロ先、スコットランドの750キロ以上先です。産地は鉱物と化学組成の分析で突き止められましたが、運び方は実験で「10人で1トンを引ける」と示された段階にとどまります。

答えに近づく手がかりは、牛の歯のような意外な所から見つかっています。次にストーンヘンジの写真を見るときは、石そのものより足元に敷かれていたはずの丸太と、それを引いた人や牛の列を想像してみてください。

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