雑学

クレジットカード誕生秘話「財布を忘れた食事」は作り話だった

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
クレジットカード誕生秘話「財布を忘れた食事」は作り話だった

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クレジットカードの誕生秘話として、「実業家が食事の席で財布を忘れ、恥をかいたことから思いついた」という話が知られています。これは作り話です。話を作ったのは、カード会社の広報担当者本人でした。

本当の始まりは、1950年2月8日のニューヨーク。加盟店27軒、使う人200人からのスタートでした。この記事では、カードより前の「つけ払い」の道具から日本への上陸まで、時代順にたどります。

カードより前にあった「つけ」の道具

現金を出さずに買い物をする仕組みは、1950年より前からありました。19世紀の終わりから1930年代にかけて、アメリカの商店やホテルは、金属の札やカードを常連客に渡していました。見せれば、その店でつけ払いができる、という道具です。

1928年には、ファリントン社が「チャーガ・プレート」を作りました。客の名前と住んでいる市・州を浮き彫りにした、縦横3センチと6センチほどの金属の板です。店は専用の器械にこの板と伝票を重ねて押し、客の情報を写し取りました。大きな商店が常連客に渡し、1930年代から1950年代の終わりまで使われています。1934年には、アメリカン航空と航空輸送協会が、航空券をつけで買える「エア・トラベル・カード」を始めました。

小説の中には、もっと早く登場しています。1888年、アメリカの作家エドワード・ベラミーは『顧みれば』という小説を出しました。1887年に眠りについた主人公が、2000年のボストンで目を覚ます物語です。その未来社会では、人々がカードで品物を受け取っています。ただし、市民はみな同じ額の信用を持ち、その範囲で使う決まりでした。今でいえば、クレジットカードよりデビットカードに近い仕組みです。

こうした道具には、共通の弱点がありました。使えるのは、発行した店や航空会社だけです。1枚で多くの店に使えるカードは、まだありませんでした。

1950年、ダイナースクラブの誕生

その「1枚で多くの店に」を実現したのが、ダイナースクラブです。設立は1950年2月8日。創業者は実業家のフランク・マクナマラと弁護士のラルフ・シュナイダー。広報のマティ・シモンズと、実業家のアルフレッド・ブルーミングデールも加わり、150万ドルの資本で立ち上げました。

始まりは小さなものでした。

お金の流れは、今のカード会社とほとんど同じです。加盟店は売上の7%を手数料として払い、会員は年会費を払います(1951年の時点で年5ドル)。会員は使った分を月にまとめて払い、店はダイナースから代金を受け取ります。

カードは急速に広まりました。1950年の暮れには会員が2万人に増えています。1952年、マクナマラが持ち株を手放したときの会員は約25万人でした。

「最初の晩餐」は広報が作った話

よく語られる誕生秘話は、こんな筋書きです。1949年、マクナマラはニューヨークのレストランで客と食事をした。支払いのときに財布を別の服に入れてきたと気づき、妻に現金を届けてもらった。この経験から、現金なしで払える仕組みを思いついた。英語圏では、この逸話を「最初の晩餐(ファースト・サパー)」と呼んでいます。

この話を否定したのは、作った本人のシモンズです。米紙クリスチャン・サイエンス・モニターの取材に、シモンズは、あの出来事は起きていないと語りました。新しい商品を世に知らせるために、カードの誕生を華やかに見せる必要があった、というのが理由です。

シモンズ自身、最初は乗り気ではありませんでした。マクナマラとシュナイダーから構想を聞いたとき、「あまり良い考えだとは思えない」と答えています。それまで何かをつけで買ったことがなく、いつも現金で払っていたからです。考える時間をもらったあとで、シモンズは専任として加わりました。

構想を立てたのはマクナマラです。ただし、それは一度の失敗から生まれたひらめきではありませんでした。

リボ払いの登場とカードの大衆化

ダイナースのカードは、厳密にはチャージカードです。使った分を翌月にまとめて全額払う仕組みで、残高を持ち越すことはできませんでした。

残高を翌月に繰り越し、利息を払いながら使い続ける今のクレジットカードは、1958年に始まります。バンク・オブ・アメリカは、カリフォルニア州フレズノの住民6万人に「バンカメリカード」を一斉に郵送しました。申し込みを待たず、先にカードを配るやり方です。英語版ウィキペディアは、これを最初に成功した近代的なクレジットカードとしています。

そこからは競争の時代です。1966年、ほかの銀行がまとまって「マスターチャージ」を作りました。今のマスターカードの前身です。同じ年、イギリスのバークレイズ銀行は、アメリカ以外で初めてのクレジットカードを出しています。頼まれていない相手にカードを大量に送りつけるやり方は、1970年に禁止されました。バンカメリカードの仲間の銀行は、1976年に「Visa」の名前でまとまります。

ダイナースのほうも伸び続けました。会員はマクナマラが1957年に亡くなった2年後、100万人を超えています。

日本への上陸と、年表で見る76年

日本では、1960年に日本ダイナースクラブが設立され、翌1961年の春に最初のカードを発行しました。同じ1961年1月には、株式会社日本クレジットビューロー(今のJCB)ができています。JCBは同年3月に、日本初の汎用型クレジットカードの発行を始めました。

クレジットカードの歩み(Wikipedia・JCB公式サイトなどをもとに作成)
年できごと
1888年ベラミーの小説『顧みれば』に、カードで品物を受け取る未来社会が描かれる
1928年ファリントン社が金属の「チャーガ・プレート」を作る
1934年航空券をつけで買える「エア・トラベル・カード」が始まる
1950年2月8日、ダイナースクラブ設立。年末に会員2万人
1958年バンク・オブ・アメリカがフレズノで6万人にカードを郵送
1961年日本でJCBとダイナースがカードを発行。ダイナースのカードがプラスチックに
1966年マスターチャージ誕生。英国でバークレイカード誕生
1976年バンカメリカードの系列が「Visa」にまとまる

27軒と200人から始まった仕組みは、いまや日本の買い物の大きな部分を支えています。経済産業省の発表をもとにした報道によると、2025年の日本のキャッシュレス決済は162.7兆円。このうちクレジットカードが134.6兆円で、全体の82.7%を占めました。

カードの話は、そもそもお金とは何か、という問いにつながります。つけ払いの金属板もカードも、「この人は後で払う」という信用を形にしたものです。お金そのものの成り立ちから考えたいなら、入門書で全体を見渡すのが近道です。

作り話のほうが残った理由

「最初の晩餐」が広まったのは、事実より覚えやすいからです。財布を忘れて恥をかいた、という話は一文で伝わり、聞いた人が自分の失敗に重ねられます。一方、「1950年に加盟店27軒と会員200人で始まった」は正確でも、話としては弾みません。

シモンズが否定したあとも、この逸話はダイナースクラブのサイトに載り続けている、とクリスチャン・サイエンス・モニターは伝えています。会社にとっても、覚えてもらえる物語のほうが役に立ったわけです。

この話をだれかに披露するときは、「作り話だそうですよ」と一言添えてみてください。だれが、なぜ作ったのかまで話せると、元の逸話より面白い話になります。

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