雑学

人が肩に登って組み上げる、スペインの人間の塔とは

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
人が肩に登って組み上げる、スペインの人間の塔とは

※この記事にはアフィリエイト広告(PR)を含みます。リンク先の楽天市場で購入されると、紹介料が入ることがあります。

大勢の人が肩の上に登り、6段から10段の高さまで塔を組み上げます。スペインのカタルーニャ地方に伝わる「カステイ(人間の塔)」です。2010年には、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

始まりは18世紀の踊りの締めくくりで、当時の塔は2〜3段でした。そこから約300年かけて、10段まで高くなっています。この記事では、カステイの歩みを時代順にたどります。

18世紀、踊りの締めくくりから始まった

カステイの起源は、タラゴナ県の祭りで踊られた「バル・デルス・バレンシアンス(バレンシア人の踊り)」です。カタルーニャ州政府によると、記録に残る最も古い例は18世紀にさかのぼります。踊りの最後に、2〜3段の小さな塔を組むのが見せ場でした。

最初の記録として知られるのは、1712年のバルス(Valls)の町です。タラゴナの北にあるこの町から、18世紀のうちにビラフランカ・デル・ペネデスやタラゴナなど近くの町へ広がりました。

やがて塔は踊りから離れ、それだけで見せる出し物になります。いまもバルスは、カステイの本場の1つとして知られています。

19世紀に9段、20世紀に衰えと復活

19世紀になると、カステイは各地の祭りに定着しました。塔の高さは9段に達しています。

競い合う場も生まれました。1902年にはバルセロナで大会が開かれ、1932年にはタラゴナで「コンクルス・デ・カステイス」が始まります。タラゴナの大会を提案したのは、近くのエル・ベンドレル出身の音楽家パブロ・カザルス(パウ・カザルス)でした。カザルスは、1932年と1933年の大会の会長を務めています。

一方で、20世紀の初めには人気が落ち込みました。人が戻ってきたのは1960年代です。1970年にはタラゴナの大会が再開され、それ以降はほぼ2年に1度、闘牛場を会場に開かれています。

1980年代、女性の参加で10段へ

大きな転機は1980年代でした。それまで男性の行事だったカステイに、女性が加わるようになったのです。体が軽く、力もある担い手が増えたことで、塔はさらに高くなりました。英語版Wikipediaは、これを2度目の黄金時代と呼んでいます。

高い塔ほど、下の支えが大事になります。塔の作りは次のとおりです。

ポム・ダ・ダルトの3段にも、それぞれ役目があります。下の段は「ドゥゾス」と呼ばれる2人の子どもで、互いにしっかり組み合います。その上で、「アイシャカドー」と呼ばれる子が両足を2人に1本ずつ乗せてしゃがみます。最後に、その上へ登って頂上に立つのがエンシャネタです。

塔の名前は数式のように付けます。「3de9」なら、1段に3人ずつの9段の塔です。いちばん上に登る子はエンシャネタと呼ばれ、片手を挙げる「アレタ」で完成を知らせます。完成後に誰も落ちずに降りきれば「デスカレガット」。降りる途中で崩れると「カレガット」です。組み上げるだけでは半分で、崩さずに降りるところまでが本当の成功なのです。

参加者が腰に巻く幅広の帯ファイシャは、腰を守るだけでなく、上へ登る人の手がかりにもなります。塔を組む間はグラリャという笛と太鼓が「トック・デ・カステイス」を奏で、いまどの段階かを全員に伝えます。エンシャネタが頂上に着くと、トレモロのあとに曲のいちばん高い音が鳴り、塔の完成を観客に知らせます。この曲には、カザルスが1900年に編曲した楽譜も残っています。

高さの記録も伸びました。タラゴナの大会では、1982年に初めて9段の塔が登場し、2000年には10段の塔が現れます。1992年には、バルセロナ五輪の開会式でもカステイが披露されました。

2006年の事故とヘルメット

高くなるほど、危険も増します。2006年7月23日、マタロの祭りで、地元チームの「4de9f(フォルラ付きの4人9段)」が崩れました。12歳の少女マリオナ・ガリンドが重いけがを負い、11日後の8月4日に亡くなりました。

カタルーニャの新聞Araによると、この事故をきっかけに、開発中だった子ども用のヘルメットがすぐに実際に使われ始めました。20年たったいま、重いけがが減ったというデータが、ヘルメットを使い続ける大きな理由になっているといいます。同紙は、顔を守る部分を足した新しいヘルメットも、最終の設計段階にあると伝えています。

英語版Wikipediaには、カステイで起きた死亡事故は4件と記録されています。2006年の前は1983年のトレデンバラでした。危険と隣り合わせの伝統だからこそ、安全の仕組みが後から足されてきたのです。

2010年の無形文化遺産と、いまの姿

2010年11月16日、カステイはユネスコの無形文化遺産に登録されました。ユネスコは、技術がチームの中で世代から世代へ、実際に組む練習を通してしか伝わらないことを特徴に挙げています。演じる場は、町の年に一度の祭りです。伝統的には、市庁舎のバルコニーの前の広場で組みます。

カタルーニャ州政府によると、いまはカタルーニャ語圏に100を超えるチームがあり、約1万2000人が参加しています。1年間に組まれる塔は、およそ1万2000基です。どのチームも、報酬を受け取らないアマチュアです。

カステイの歩み(カタルーニャ州政府・タラゴナ大会・英語版Wikipediaなどをもとに作成)
年できごと
1712年バルスで、踊りの締めくくりの塔が記録に残る
19世紀各地の祭りに定着し、9段の塔が組まれる
1932年カザルスの提案で、タラゴナの大会が始まる
1960年代20世紀初めの落ち込みから人気が戻る
1980年代女性が加わり、2度目の黄金時代へ
2000年タラゴナの大会に10段の塔が登場
2006年マタロの事故。子ども用ヘルメットが使われ始める
2010年ユネスコの無形文化遺産に登録
2015年ミニョンス・デ・タラサが「4de10fm」を完成
2023年バルスに人間の塔の博物館「モン・カステリェ」が開館

2015年11月にミニョンス・デ・タラサが組んだ「4de10fm」は、フォルラとマニリェスを重ねた4人10段の塔です。英語版Wikipediaは、これを記録に残る最も高い塔としています。

カステイの本場カタルーニャには、何世代もかけて積み上げてきた物が、もう1つあります。バルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂です。1978年から現地で彫刻を担当する外尾悦郎さんの新書には、19世紀末のバルセロナや、ガウディを育てた地中海の話が出てきます。

見るなら、頂上より足元を

カステイの合言葉は「força, equilibri, valor i seny(力、バランス、勇気、分別)」です。ジュゼップ・アンセルム・クラベーの詩の一節から取られた言葉です。2〜3段の踊りの見せ場から始まり、女性の参加とヘルメットを経て、10段の塔が組まれるまでになっています。

一人では1段も上がれません。塔の高さを決めるのは、上に登る子どもより、下で支える数百人です。カタルーニャの祭りでカステイを見る機会があれば、頂上だけでなく、地面のピニャにも目を向けてみてください。

← 記事一覧へ戻る