雑学

放たれた牛と走るスペインの伝統、その勇気とは

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
放たれた牛と走るスペインの伝統、その勇気とは

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スペイン北部パンプローナの牛追いは、毎年7月7日から14日まで、毎朝8時ちょうどに始まります。走る距離は848.6メートル、牛が駆け抜ける時間はおよそ2分です。

もとは度胸試しではなく、牛を闘牛場まで運ぶための仕事でした。この記事では、牛追いを昔の姿と比べます。さらに日本やイギリスの「走る祭り」とも並べて、何が特別なのかを見ていきます。

848.6メートルを約2分で

コースはサント・ドミンゴの囲いから始まり、市庁舎前の広場、メルカデレス通り、エスタフェタ通りを抜けて闘牛場で終わります。全長848.6メートルという細かい数字は、パンプローナ市が公表しているものです。

毎朝6頭の闘牛が放たれ、群れをまとめる去勢牛も一緒に走ります。848.6メートルを2分で走ると、平均で時速25キロほどです。

進み具合は、花火の音で町じゅうに知らされます。1発目は囲いの扉が開いた合図、2発目は最後の牛が囲いを出た合図です。3発目で全頭が闘牛場に入り、4発目で牛追いが終わります。

ゴールの闘牛場は、1922年に建築家フランシスコ・ウルコラが設計したものです。1856年より前は、コースはカスティージョ広場で終わり、その終点は「入場(エントラーダ)」と呼ばれていました。今のエスタフェタ通りが加わって、闘牛場までのいまの道筋ができあがります。

運ぶ仕事から度胸試しへ

パンプローナ市によると、中世には馬に乗った男たちが、牛の群れを町の中心へ追い立てていました。16世紀になると、地元の若者や肉屋が、役人の制止を振り切って牛の前を走り始めます。付き添いの仕事が、先を走る度胸試しへ変わった瞬間です。

牛追いの昔と今(パンプローナ市・英語版百科事典の記述をもとに作成)
時代牛追いの姿
中世馬に乗った男たちが、牛を町の中心へ運ぶ仕事
16世紀若者や肉屋が牛の前を走り始める(度胸試しの始まり)
1591年聖フェルミンの祭りが10月10日から7月7日へ移る
1776年交差点の目隠しが、毛布から松材の柵に変わる
1856年エスタフェタ通りがコースに入り、「エンシエロ」の名が使われ始める
1924年まで開始は朝6時
1924〜1974年開始は朝7時
1974年以降開始は朝8時(今と同じ)

祭りの日付が7月に移ったのは、天候がよく、夏の市とも重なる時期だったからです。牛追いの初日が7月7日なのは、この引っ越しの名残です。今の祭りは、7月6日の正午に市庁舎のバルコニーから上がる花火「チュピナソ」で始まります。この開幕の形は1941年からです。

世界に知られたきっかけは、作家アーネスト・ヘミングウェイでした。1923年に初めてパンプローナを訪れ、1926年の小説『日はまた昇る』で祭りの熱気を描きます。その後も1959年まで何度も通いました。地元の行事が世界の観光行事へ変わった転機が、この一冊です。

前夜と直前の静かな時間

走る朝の騒ぎの裏には、2つの静かな行事があります。1つは前夜の「エンシエリージョ」です。夕暮れに角笛を合図に、翌朝の牛を町はずれの囲いからサント・ドミンゴの囲いまで、約300メートル移します。牛飼いと去勢牛が付き添い、ほとんど音を立てずに進みます。見物は、1日ごとの入場券を持つ人に限られています。

もう1つは朝8時の直前です。走者たちはサント・ドミンゴの坂で、聖フェルミンに身の安全を願う「カポティコ」という短い歌を唱えます。開始までの数分間だけ、通りは静まり返ります。

世界の「走る祭り」と比べる

牛追いはパンプローナだけの行事ではありません。スペイン中部のクエリャルには、1215年の文書に牛追いの記録があり、国内で最も古いとされます。マドリード近郊のサン・セバスティアン・デ・ロス・レイエスでは8月の終わりに開かれ、パンプローナに次ぐ人気です。

牛はいなくても、「走ること」が主役の祭りは日本やイギリスにもあります。兵庫県の西宮神社の福男選びと、イングランドのチーズ転がしを並べてみます。

西宮市の説明では、十日えびすの期間中、神社の表大門(赤門)は1月10日の午前0時に閉じられます。朝6時に門が開くと同時に、参拝者が本殿まで駆け出します。福男選びは戦災のため、1953年まで行えなかった時期もありました。

走る祭りの比較(各自治体・神社・英語版百科事典の記述をもとに作成)
項目パンプローナの牛追い西宮神社の福男選びクーパーズヒルのチーズ転がし
時期7月7〜14日の毎朝8時1月10日の朝6時5月の祝日(春のバンクホリデー)
距離848.6メートル参道の約200メートル約180メートルの急斜面
追うもの・追われるもの6頭の闘牛に追われる本殿への一番乗りを競う3〜4キロの丸いチーズを追う
今の形の始まり16世紀に人が走り始める走り詣りは江戸時代頃、福男選びは1940年確かな記録は1836年
勝ち負けなし(無事に走り切るのが目的)上位3人が福男最初に麓に着いた人がチーズをもらう

並べると、パンプローナだけが「順位のない祭り」だと分かります。福男もチーズ転がしも、速さを競って勝者を決めます。牛追いは、牛を闘牛場へ届けるという元の仕事の形を、そのまま残しています。

チーズ転がしの斜面は勾配が約50%あり、1997年には33人がけがをしました。2009年には収容約5000人の場所に約1万5000人が集まり、翌2010年の公式開催は中止されています。2013年には安全のため軽い発泡素材の偽物のチーズが使われ、翌年に本物へ戻りました。走る祭りはどこも、熱気と安全の釣り合いに悩んでいます。

安全の決まりと、けがの数

走るのに申し込みは要りませんが、18歳以上であることが条件です。警察と牛飼いの指示に従うといった決まりがあり、破れば罰金です。コース沿いの通りは開始の90分前に歩行者が入れなくなります。

当日の救護も大がかりです。英語版百科事典によると、医療関係者は約200人、救護所は16か所です。救急車も約20台が待機します。

コースを囲む松材の柵は、横板2,044枚と柱388本、扉40か所でできています。柵は二重で、内側の1枚目は走者と医療班、報道のための場所です。観客はその外側から見ます。

それでも、けが人は毎年出ます。人数は数え方で幅があり、英語版百科事典の中でも年50〜100人とする記事と、200〜300人とする記事があります。多くは転倒による打撲です。祭りの公式情報サイトによると、記録が残る1910年以降、牛追いで亡くなった人は16人です。直近は2009年7月10日、牛に首を突かれて亡くなった27歳の男性でした。

動物愛護団体からは、牛に大きなストレスを与え、闘牛を美化しているという批判も続いています。朝に走った6頭は、もともと夕方の闘牛に出すために運ばれる牛です。

16世紀に若者が牛の前を走り始めたころ、スペインは海外へ領土を広げ、帝国の絶頂期に向かっていました。祭りの背景にある国の歩みを物語として追うなら、新書の通史が手軽です。

祭りの最後は、7月14日の深夜0時です。市庁舎前の広場に人が集まり、「ポブレ・デ・ミ(かわいそうな私)」という歌で、終わりを惜しみます。この締めくくりは1920年代に始まりました。

いまも残る「運ぶ」形

パンプローナの牛追いは、848.6メートルを約2分で駆け抜ける、順位のない走りです。中世の運搬の仕事が16世紀に度胸試しへ変わり、柵や開始時刻を変えながら今の形になりました。日本の福男選びやイギリスのチーズ転がしと比べると、勝ち負けを持たない点が際立ちます。

危険を承知で走るか、柵の外から眺めるか。パンプローナを訪ねるなら、朝8時の1発目の花火が鳴る前に決めておくことになります。

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