雑学

馬車とちょうちんが彩るスペインの春祭りとは

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
馬車とちょうちんが彩るスペインの春祭りとは

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スペイン南部の町セビリアで毎年春に開かれる「フェリア・デ・アブリル」は、日本語で四月祭とも呼ばれます。昼は着飾った人々が馬や馬車で会場を進み、夜は9万個を超える提灯が通りを照らします。

始まりは1847年、牛や馬を売り買いする家畜市でした。商売の場が、どうして180年近くかけて馬車と提灯の祭りに変わったのか。旅行者が戸惑う「入れないテント」の仕組みとあわせて、浮かびやすい疑問を順に取り上げます。

四月祭は、もともと何の市だったの?

家畜を取引する市です。1846年8月、2人の男性がセビリアで家畜市を開こうと提案しました。カタルーニャ出身のナルシソ・ボナプラータと、バスク出身のホセ・マリア・イバラです。女王イサベル2世が1847年3月5日の勅令でこれを認めています。

第1回は1847年4月18日、プラド・デ・サン・セバスティアンという広場で開かれました。並んだテント(カセータ)は、わずか19軒です。

ところが初回から、人々は商談そっちのけで歌い踊りました。翌1848年には、商人たちが「歌と踊りで取引がしにくい」として、警備を増やすよう求めています。1858年にはカセータが119軒に増え、1859年には市場よりも祭りに使う区画のほうが広くなりました。家畜市として生まれてから、わずか12年で主役が入れ替わったわけです。

会期も少しずつ延びました。最初は3日間で、1913年から4日間、1952年から6日間になっています。

提灯と門は、いつから飾られたの?

提灯(ファロリージョ)は1877年からです。街灯を紙で作った球形のかさで覆ったのが始まりでした。2026年の会場には、約28万個の電球と、9万個を超える提灯が使われています。

会場の入口には「ポルターダ」と呼ばれる巨大な門が建ちます。1896年から1921年までは、「パサレラ(歩道橋)」と呼ばれる構造物が入口の役を果たしていました。大きな門を建てる今の形が始まったのは1949年で、門の姿は毎年変わります。2026年の門は、1929年のイベロアメリカ博覧会で建てられたポルトガル館を模したものでした。

主な出来事を年の順に並べると、次のようになります。

家畜市から春祭りへ(スペイン語版Wikipediaとセビリア市観光局の資料をもとに作成)
年出来事
1847年第1回。プラド・デ・サン・セバスティアンにカセータ19軒
1859年祭りの区画が市場の区画より広くなる
1864年花火で祭りを締めくくり始める
1877年紙の提灯で街灯を覆う
1929年博覧会をきっかけに、フラメンカ衣装が定着する
1949年大きな門(ポルターダ)を建てる形が始まる
1973年ロス・レメディオス地区の今の会場へ移る
2026年カメラで来場者を数え、約241万人と集計

女性が着るフリルの多い衣装は「トラヘ・デ・フラメンカ」と呼ばれます。セビリア市観光局によると、定着したのは1929年の博覧会のあとです。

なぜ旅行者はテントに入れないの?

カセータのほとんどが、私設の「招待制」だからです。会場の「レアル・デ・ラ・フェリア」は広さ約45万平方メートルで、約1,050軒のカセータが並びます。持ち主は家族や友人の集まり、同業者の組合、政党などです。入るには関係者の招待が要ります。

誰でも入れる公営のカセータは、2026年で16軒です。全体の約1.5%にすぎず、地元では公営の割合を2.5%に増やすべきだという声も出ています。にぎやかな音楽が聞こえるのに中へ入れないのは、この仕組みのためです。

カセータの大きさには基本の単位があり、間口は4メートル、奥行きは6〜8メートルです。カセータの統一された外観を考えたのは画家のグスタボ・バカリサスでした。通りには、近くの町アルカラ・デ・グアダイラで採れる黄色い土「アルベロ」が敷かれます。通りの名前は、セビリア県出身の闘牛士15人から取られています。

旅行者が入りやすいのは、公営のカセータです。セビリア市観光局も、会場に公営のカセータを1軒持っています。

馬車はいつ、どこを走るの?

馬と馬車が練り歩けるのは、正午から午後8時までです。この行進は「パセオ・デ・カバジョス」と呼ばれます。2012年の条例で、会場に入れる馬車などの登録は1,400台までと決められました。

日が暮れると馬車は引き上げ、提灯の下で踊る時間に変わります。昼の主役が馬車、夜の主役が提灯と踊り。同じ会場が、時間帯で姿を変えます。

馬がいない年もありました。1990年には、馬の伝染病(馬疫)が広がったため、アンダルシア州が祭りへの馬の参加を禁じています。家畜市から始まった祭りにとって、馬は今も欠かせない存在です。

祭りの一日は、どう過ぎていくの?

開幕は、月曜の夜です。この夜は揚げた魚や魚介を食べる習わしがあり、「ペスカイート(小魚)の夜」と呼ばれます。日付が変わる午前0時、門の明かりが一斉にともります。この点灯が「アルンブラオ」で、祭りが始まる合図です。

会期中は、2005年から明かりを消す時刻が決まっています。ふだんは午前3時、土曜は午前6時までともり、最終日の日曜は午前0時の花火で幕を閉じます。

カセータの中で踊るのは「セビジャーナス」です。3拍子の曲を4つ続けて、2人1組で踊ります。飲み物の定番は、辛口のシェリー酒の一種マンサニージャです。観光局によると、会期中にハーフボトル150万本が飲まれます。マンサニージャを炭酸飲料で割った「レブヒート」も、2000年代から広まりました。

会場の一角には「カジェ・デル・インフィエルノ(地獄通り)」と呼ばれる遊園地もあります。100を超える乗り物が並ぶ、スペイン最大の仮設遊園地です。

日程は、どうやって決まるの?

復活祭(イースター)をもとに決まります。市の条例では、聖週間が明けてから2回目の日曜に始まる週に開くと定めています。会期がまるごと5月に入ってしまう年は、1週間前に繰り上げます。

復活祭の日付は毎年動くため、四月祭の日程も年によって4月の中旬から下旬まで動きます。2017年から2024年までは7日間でしたが、2025年からは月曜の点灯から日曜の花火までの形に戻りました。

2026年は、4月20日の月曜の夜(日付が21日に変わる午前0時)に明かりがともり、26日の日曜に閉幕しました。

どれくらいの人が訪れるの?

2026年の来場者は241万4,625人でした。市はこの年、会場のカメラで初めて人数を正確に数えています。前の年までは交通機関の記録などから推計していて、2025年は280万〜300万人とされていました。

いちばん混んだのは水曜で、ピークは午後7時でした。市が発表した経済効果は約10億ユーロです。祭りの間、市内のホテルの稼働率は89%に上りました。

セビリアがこれほど人を集めるのは、祭りが初めてではありません。1503年、カスティーリャ王室はセビリアの港に、新大陸との交易を取りしまる役所を置きました。1717年に役所がカディスへ移るまで、セビリアは新大陸とスペインを結ぶ玄関口として栄えます。スペインが海の帝国だった時代の流れは、新書で通して読むとつかみやすくなります。

まとめ

四月祭は、1847年に19軒のテントで始まった家畜市です。12年後には祭りの区画が市場を上回り、1877年に提灯、1949年に大きな門が加わりました。今は約1,050軒のカセータが並び、2026年は約241万人が訪れています。

訪れるなら、馬車が行き交う昼と、提灯がともる夜の両方を歩いてみてください。カセータに入るなら、まず公営の16軒を探すのが近道です。

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