雑学

ピサの斜塔はなぜ傾いた?建設の途中から傾いていた事実

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
ピサの斜塔はなぜ傾いた?建設の途中から傾いていた事実

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ピサの斜塔が傾いた原因は、重さ約1万4500トンの塔に対して、地盤が軟らかすぎたことです。完成してから傾いたのではなく、着工から5年後の1178年、まだ2階まで積んだ段階で傾き始めていました。

皮肉なことに、この塔を倒れずに残したのは、およそ100年続いた工事の中断でした。この記事では高さや傾きの角度、工事の年数を数字で追い、塔が傾き始めてから止まるまでを見ていきます。

数字で見るピサの斜塔

ピサの斜塔は、イタリア中部ピサの大聖堂に付属する鐘楼です。まず、塔の大きさを数字で押さえておきます。

ピサの斜塔の主な数字(百科事典、トスカーナ州の観光公式サイトなどをもとに作成)
項目数字
高さ低い側55.86m・高い側56.67m
重さ約1万4500トン
基礎の深さ約3m
1階の壁の厚さ約2.44m
階段294段
鐘の数7つ
着工から完成まで199年(1173〜1372年)
傾きの角度最大5.5度(1990年)→ 約4度(いま)

表の中で目を引くのは、基礎の深さです。高さ56メートル、重さ1万4500トンの石の塔を、わずか3メートルの基礎で支えようとしていました。高い側と低い側で高さが80センチほど違うのも、傾いているためです。

ほかの数字にも、塔の性格が表れています。7つの鐘は、長音階の7つの音に1つずつ対応しています。訪れる人は年に500万人を超え、着工の日から数えた850周年の式典は2023年8月9日に開かれました。

1178年、2階で傾き始めた

建設の資金集めは1172年に始まりました。ドンナ・ベルタ・ディ・ベルナルドという未亡人が60ソルドを遺し、そのお金で土台の石が買われています。基礎工事が始まったのは1173年8月9日です。塔の下の地面は、水を多く含んだ軟らかい粘土の層でした。1178年、工事が2階まで進んだところで、塔は南側へ沈み始めます。塔の安定化に取り組んだインペリアル・カレッジ・ロンドンのジョン・バーランド教授は、この地盤を「ゼリーの上に建てた塔」とたとえています。

ここで工事は止まります。理由は傾きではなく、ピサがジェノヴァやルッカ、フィレンツェと争った戦争でした。中断は100年近く続きます。

この空白が、塔を救いました。塔の重さがかかった粘土は、長い時間をかけて水を押し出し、少しずつ締まっていきます。地盤が強くなったのです。バーランド教授は、途中の中断がなければ塔は倒れていた、と述べています。

199年かけて、曲げながら積んだ

最初に誰が設計したのかは、はっきりしていません。トスカーナ州の観光公式サイトは、ボナンノ・ピサーノの作とする説と、隣の洗礼堂を手がけていたディオティサルヴィの設計とする説を紹介しています。

1272年、ジョヴァンニ・ディ・シモーネのもとで工事が再開されます。すでに傾いた土台の上で、上の階をまっすぐに近づけるため、低くなった側の柱やアーチを反対側より高くして積み上げました。

そのため斜塔は、まっすぐな棒が倒れかけた形ではありません。途中で向きを変えた、ゆるく曲がった形をしています。工事はピサがメロリアの海戦でジェノヴァに敗れたあと、再び止まりました。7階が完成したのは1319年、鐘を吊る最上部ができたのは1372年です。着工から199年がたっていました。

5.5度から約4度へ、傾きを戻した11年

完成後も、傾きは少しずつ進みました。1964年2月27日には、イタリア政府が塔の倒壊を防ぐための協力を広く求めています。1989年、北イタリアのパヴィアで中世の「市民の塔」が崩れ落ちました。これを受けて、ピサの斜塔は1990年1月7日に一般公開を止めました。このとき傾きは5.5度で、7階の軒は真下から約4.5メートルはみ出していました。

同じ1990年、バーランド教授を含む14人の国際委員会が作られ、塔の安定化が始まります。その後の主な数字を並べると、次のようになります。

土の抜き取りは、1日に約100リットルずつという慎重な速さで進められました。始めてから半年で、7階の軒は約19センチ戻っています。

土を抜いただけでは、毎年わずかに傾きが増える動きは止まりませんでした。調べると、冬の雨で地下水位が上がるたびに、塔が少しずつ動いていたのです。そこで北側の地下に排水の設備を入れ、水位を管理しました。

委員会が目指したのは、まっすぐに直すことではありません。傾いたまま、安全にすることでした。2001年の再開時には少なくとも300年、2008年の発表では少なくとも200年は安定すると見込まれています。いまの約4度の傾きは、塔の上の端が真下から約3.9メートルずれている計算です。

地盤の沈み方や、塔を起こした工事の手順は、文章より図や写真で追うほうが分かりやすい話です。斜塔を含むピサの大聖堂広場は、1987年にユネスコの世界遺産に登録されています。ほかの世界遺産と見比べたいなら、写真の多い世界遺産の図鑑が手がかりになります。

よくある疑問

ガリレオは、斜塔から重さの違う球を落としたのですか?
確かな裏づけはありません。ガリレオが1589〜1592年ごろ、塔から球を落としたという話の主な出どころは、弟子のヴィヴィアーニの伝記です。この伝記が書かれたのは1654年、出版は1717年で、ガリレオ自身は塔での実験を書き残していません。多くの科学史家は、実際の実験ではなく思考実験だったとみています。重さの違う2つの鉛の球を落として、同時に着くと確かめた記録としては、1586年にオランダのシモン・ステヴィンらが約9メートルの高さから行ったものが知られています。1971年には、アポロ15号の宇宙飛行士が月面でハンマーと羽根を落とし、空気のない所では同時に落ちることを見せました。
傾いた塔が、地震で倒れずに残った理由は?
傾きの原因になった軟らかい地盤が、地震では塔を守ったとみられています。斜塔は1280年以降、少なくとも4回の強い地震に遭いながら、壊れずに残ってきました。2018年、イタリアのローマ第三大学のカミッロ・ヌーティ教授が率いる16人の技術者チームは、その理由を地盤と建物の揺れの関係で説明しています。高くて硬い塔が軟らかい地盤に載っていることで、塔の揺れ方が変わり、地震の揺れと共振しにくくなるというのです。チームに加わった英ブリストル大学のジョージ・ミロナキス教授は、傾きを生んだのと同じ地盤が、塔を地震から守ったと述べています。

まとめ

ピサの斜塔は、深さ約3メートルの基礎の下にある軟らかい粘土のせいで、1178年に2階まで積んだところで傾き始めました。約100年の中断で地盤が締まったおかげで倒れずにすみ、199年かけて、傾きを補いながら完成しました。

傾きは1990年の5.5度から、土を約38立方メートル抜くことで約4度に戻り、2008年に動きが止まりました。写真を撮るときは、傾きだけでなく、塔が途中でわずかに曲がっていることも確かめてみてください。850年前から続く、職人と傾きの戦いの跡です。

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