お金が生まれる前はどうしていた?物々交換説と貸し借りの記録
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「お金がなかった時代は物々交換をしていた」と習った人は多いはずです。ところが人類学の調査では、物々交換だけで回っていた社会は1つも報告されていません。古い記録に多く残っていたのは、交換の場面ではなく貸し借りの帳簿でした。
お金の始まりは、身の回りの物でも確かめられます。漢字の部首、5円玉の重さ、博物館に並ぶ古い銭。この記事では、物々交換説の弱点と貸し借りの記録をたどったあと、家で確かめる方法を紹介します。
物々交換説の弱点
アダム・スミス以来の古典的な経済学は、お金は物々交換の不便を解くために生まれた、と説明してきました。物々交換は、欲しい物が互いに一致しないと成立しません。魚を持つ人が斧を欲しがっても、斧を持つ人が魚をいらなければ交換は終わりです。
経済学ではこれを「欲望の二重の一致」と呼びます。魚は数日で傷むので、条件の合う相手を待つ余裕もありません。魚何匹で斧1本かという共通の物差しもなく、割合は毎回決め直しです。
理屈としては筋が通っています。問題は、そういう社会が実際に見つからないことです。英国の人類学者キャロライン・ハンフリーは、純粋な物々交換の経済は1例も記述されていない、と結論づけました。物々交換が記録に出てくるのは、主に見知らぬ者どうしや、敵になりうる相手との取引です。
反対の意見もあります。経済学者のロバート・マーフィーとジョージ・セルギンは、物々交換の段階は短すぎて記録に残らなかっただけだ、と反論しています。物々交換説が完全に否定されたわけではありません。ただ、証拠の多い説明は別にあります。
粘土板に残っていたのは貸し借りの帳簿
手がかりは、古代メソポタミアの粘土板です。神殿は遠方との交易の多くを取り仕切り、大麦と銀の交換比率を決めていました。比率が決まっているので、支払いは大麦でも銀でもかまいません。これが、経済全体を帳簿で管理するしくみにつながりました。
紀元前2150年ごろには「シェケル」という単位が記録に現れます。シェケルは重さの単位で、一定量の大麦と結びつけられていました。紀元前1760年ごろのハンムラビ法典には、借金の利子の額や、罰金の額まで定められています。
人類学者のデヴィッド・グレーバーは、この流れを次のように説明しました。最初にあったのは「1つ借りがある」という数えられない義理です。それが「大麦何リットル分」と数えられる負債になったとき、お金は価値の物差しとして生まれた。交換の道具として使われるのは、その後だという考え方です。粘土板の記録の多くが交換の場面ではなく帳簿なのは、この順番と合っています。
帳簿としてのお金は、もっと新しい時代にもあります。12世紀のイングランド王室は、刻み目を入れた木の棒「タリー」を、手形のような貸し借りの証文として使いました。このタリーが、やがてお金としても出回りました。
貝・穀物・金属が「みんなが認める品物」に
記録に加えて、誰もが値打ちを認める品物も、支払いの仲立ちに使われました。割れにくく、大きさがそろい、数えやすいことが条件です。
中国では3000年以上前からタカラガイの貝殻が使われ、殷や周の時代には、青銅で貝の形をまねた品も作られました。秦が中国を統一したとき、貝のお金は廃止され、丸い銅銭にそろえられます。インドでも貝のお金は1830年ごろまで使われ、インド洋のモルディブ諸島がその産地でした。
金属のお金は、重さをはかって使うのが始まりです。決まった重さの金属に、発行者が刻印を押したものが硬貨にあたります。刻印は、毎回はかり直す手間を省くための保証でした。今の硬貨の直接の祖先は、紀元前7世紀ごろ、今のトルコにあったリディア王国で作られました。素材は、金と銀が自然に混ざった合金エレクトラムです。
日本では銭が途絶え、米と布の時代があった
日本銀行金融研究所の貨幣博物館によると、日本で古い銭は7世紀後半の富本銭です。1998年に奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で見つかり、存在が明らかになりました。708年には、唐の開元通宝を手本にした和同開珎が発行されています。
ところが朝廷の銭は、958年の乾元大宝を最後に新しく作られなくなりました。そこから11世紀〜12世紀半ばにかけて、米や絹、麻布が銭の代わりに使われます。12世紀半ば以降は、中国から持ち込まれた銭が出回りました。
江戸幕府が寛永通宝を出したのは1636年です。金貨は1両=4分=16朱という4進法で数え、各藩も藩札という紙幣を出しました。幕末までに、約8割の藩が藩札を発行しています。1871年の新貨条例で単位が円・銭・厘に改まり、1885年に最初の日本銀行券が発行されました。
家で確かめる4つの方法
お金の始まりの痕跡は、今の暮らしの中にも残っています。次の4つは、特別な道具がなくても試せます。
- 漢字の「貝」を探す:「貝」の部首は、タカラガイの貝殻をかたどった字です。漢和辞典で「貝」の部を開き、貨・財・買・費・貯・賃・資を探してみてください。お金にかかわる字が、貝の部にまとまっています。
- 5円玉の重さを量る:キッチンスケールに5円玉を4枚のせると、15グラムになります。5円玉1枚は3.75グラムで、これは尺貫法の「1匁(もんめ)」と同じ重さです。匁は、もともと1文銭の目方を表す言葉でした。
- 硬貨の刻印を読む:財布の硬貨を並べ、表と裏の文字を確かめます。どの硬貨にも「日本国」と製造の年が刻まれています。リディアの刻印と同じく、発行者が中身を保証する印です。
- 貨幣博物館で古い銭を見る:東京・日本橋の日本銀行金融研究所貨幣博物館は、入館無料です。富本銭や和同開珎から近代の紙幣まで、時代順に並んでいます。
5円玉の重さは、財務省の資料で確かめられます。今の硬貨の素材と重さは次のとおりです。
| 硬貨 | 素材 | 重さ | 発行開始 |
|---|---|---|---|
| 500円 | バイカラー・クラッド | 7.10g | 2021年 |
| 100円 | 白銅 | 4.80g | 1967年 |
| 50円 | 白銅 | 4.00g | 1967年 |
| 10円 | 青銅 | 4.50g | 1959年 |
| 5円 | 黄銅 | 3.75g | 1959年 |
| 1円 | アルミニウム | 1.00g | 1955年 |
1円玉はちょうど1グラムなので、スケールの目盛りを確かめる目安にもなります。和同開珎から今の5円玉までの銭を一覧で見比べるなら、貨幣のカタログが分かりやすい資料です。
よくある疑問
- 物々交換は全く無かったのですか?
- 行われていました。ただし記録に出てくるのは、見知らぬ者どうしや、敵になりうる相手との取引が中心です。同じ村の中では、物々交換より「貸し」と「借り」を覚えておくやり方が使われていた、というのが人類学の見方です。
- 結局、お金の始まりは物々交換と帳簿のどちらが正しいのですか?
- 決着はついていません。物々交換の段階は短すぎて記録に残らなかった、という反論もあります。ただ、粘土板やハンムラビ法典のように、文字で残る証拠が多いのは帳簿と負債の側です。2つの説は、お金がどこで使われたかの違いと見ることもできます。村の中では貸し借りの記録が、よその集団とのあいだでは品物どうしの交換が使われていました。
まとめ
お金は、便利な品物が1つ選ばれた瞬間に生まれたのではありません。メソポタミアの粘土板の帳簿、中国のタカラガイ、リディアの刻印入りの硬貨。貸し借りを記録し、価値の物差しをそろえる工夫が、数千年かけて重なったものです。
まずは財布から5円玉を1枚取り出し、重さと刻印を確かめてみてください。3.75グラムの中に、銭の重さで値打ちを決めていた時代の名残が残っています。
参考にした資料