願いを乗せて空へ?台湾のランタン上げ
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台湾の夜空に無数の灯りが昇っていく光景は、新北市平渓区の「平渓天燈節」です。天燈(てんとう)と呼ばれる紙の灯りに願いを書き、熱気球と同じ原理で空へ放ちます。
始まりは、お祝いではありませんでした。19世紀前半、山賊を避けて山に逃げた村人へ「もう戻って大丈夫」と知らせる合図です。いまは台湾で唯一、屋外で天燈を上げてよい地区として、年に約30万個が売れる行事になりました。
三国時代の伝説:孔明灯という別名
天燈には「孔明灯」という別名があります。三国時代の蜀の軍師・諸葛亮(181〜234年)が、敵に囲まれたとき助けを呼ぶ合図として考えた、という言い伝えから来た名前です。中華民国内政部の紹介でも、天燈は熱気球の元祖とされています。ただし諸葛亮が作ったという話は、史料で裏付けられたものではありません。科学史家のジョゼフ・ニーダムは、中国では紀元前3世紀ごろには小さな熱気球を合図に使っていた、と述べています。13世紀にはモンゴル軍がポーランドでの戦いでこうした灯りを使ったとも伝えられ、西洋で知られた最初の「気球」とされています。
浮かぶ仕組みは、熱気球とまったく同じです。平渓の天燈は、地元の桂竹(けいちく)を細く割った輪の骨組みに、麻の繊維で補強した宣紙を4〜5枚貼って作ります。底の針金に金紙を取り付け、灯油と落花生油を混ぜた油に浸して火をつけます。袋の中の空気が温まって軽くなり、周りの冷たい空気に押し上げられて昇ります。内政部の解説にあるとおり、熱気が足りないと天燈は浮きません。訪れた人は、宣紙の面に願い事を書き込んでから火をつけ、手を離します。願いを書いた紙そのものが、熱い空気を包んで空へ昇る袋になります。
ヨーロッパで人が初めて熱気球に乗って空を飛んだのは、1783年11月21日のパリでした。ピラートル・ド・ロジエとダルランド侯爵を乗せたモンゴルフィエ兄弟の気球は、約25分間飛んでいます。天燈の原理は、それよりはるか昔の伝説と結びついています。
清の道光年間:無事を知らせる合図
平渓に天燈が根付いた理由は、清の道光年間(1821〜1850年)にさかのぼります。新北市の観光サイトによると、基隆河の上流に入った福建省からの開拓者たちは、たびたび山賊に襲われていました。山深く交通の不便な土地で、役所の目も届きにくかったためです。この一帯には、漢人が来る前、先住民のケタガラン族が暮らしていました。
内政部の紹介では、冬至のころ収穫を終えると、村人は荷物をまとめて山へ避難しました。村に残るのは若い男性だけです。山賊が去ると、彼らは天燈を上げて、山の家族に無事を知らせました。
無事を伝える灯りは、やがて願いを託す灯りに変わります。もう一つの説では、天燈は春の農作業が始まる元宵節の行事とも結び付いていました。灯りには、子宝に恵まれることや五穀豊穣の願いが込められたといいます。
炭鉱と鉄道の時代:平渓線と1990年代の復活
20世紀に入ると、平渓は炭鉱の町として栄えました。1921年には、平渓線が開通しています。炭鉱が閉じると町は寂れ、鉄道も廃止の危機に立たされました。地元の人々の働きかけで、平渓線は観光の鉄道として生き残ります。
天燈の文化がよみがえり始めたのは、1990年代です。新北市の観光サイトによると、平渓の天燈はこの時期から再び広まり、町を代表する行事に育っていきました。いま観光客が乗る平渓線は、開通から100年を超える路線です。
1999年から:平渓天燈節と、平渓だけの理由
市の主催で今の形の平渓天燈節が始まったのは1999年で、2024年に26回目を迎えました。この年は2月17日と24日に開かれ、どちらの夜も1,000個を超える天燈が上がりました。開かれるのは、旧暦1月15日の元宵節当日と、その1週間ほど前の週末です。会場は菁桐小学校、平渓中学校、そして元宵節当日の十分の広場です。各年の干支を描いた大きな主燈も上がります。2008年には、新北市の民俗に登録されました。
内政部の紹介によると、会場ごとに一斉に天燈を放つ回が8回あり、会場では数千個の天燈が無料で配られます。自分で買う場合は1個150元ほどです。台南の塩水で開かれる爆竹の祭り「塩水蜂炮」と並べて、「北の天燈、南の蜂炮」と呼ばれる台湾の二大行事です。ディスカバリーチャンネルは「世界で2番目に大きな夜の祭り」と紹介し、CNNも「参加する価値のある世界のイベント52選」に選びました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 181〜234年 | 諸葛亮が生きた時代。天燈を考えたという伝説が残る |
| 1821〜1850年 | 清の道光年間。開拓者が平渓に入り、無事を知らせる天燈が生まれる |
| 1921年 | 平渓線が開通 |
| 1990年代 | 天燈の文化が平渓で復活し始める |
| 1999年 | 市の主催で、今の形の平渓天燈節が始まる |
| 2008年 | 新北市の民俗に登録 |
| 2024年 | 天燈節が26回目を迎える |
平渓だけで屋外に天燈を上げられるのには、地形と天気の理由があります。新北市の観光サイトによると、平渓は台湾でも雨の多い地域で、相対湿度は常に75%以上です。燃え残った天燈が落ちても火事になりにくい環境です。四方を山に囲まれ、近くに飛行場がないので、天燈は山の上を漂うだけで、飛行機の航路を邪魔しません。
それでも、どこで上げてもよいわけではありません。報道によると、合法なのは十分遊客中心から師功橋までの間で、基隆河に沿った200メートル以内の範囲です。夜10時から朝6時までは原則として禁止され、違反すると消防法で3,000元以下の過料が科されます。線路の上で天燈を上げることも禁じられています。
年に30万個のゆくえ:いま続いている取り組み
火が消えた天燈は、山や川に落ちます。新北市環境保護局の資料は、平渓で売れる天燈を年平均で約30万個と見積もっています。
そこで市は、落ちた天燈の紙を集める仕組みを作りました。町の3つの商店「天燈小站」では、天燈の紙1枚を1元分として、買い物の代金から差し引けます。区の清掃隊などで開く交換所では、紙5枚で14リットルのごみ袋1枚、10枚でトイレットペーパー1パック、50枚で食器用洗剤1本と交換できます。2015年には合わせて約17万6,000枚が集まり、上げた天燈の半分を超えました。天燈節のあとには、落ちた天燈を拾いながら平渓の歴史を聞いて歩く催しも毎年開かれています。
空に放つ灯りへの目は、世界では厳しくなっています。ドイツでは2009年から国内のほとんどの地域で禁止され、ベトナムも同じ年に全国で禁じました。オーストラリアは2011年に販売を禁止しています。イギリスでは2013年、落ちた天燈が原因とされる火事で、約600万ポンドの被害が出ました。平渓の天燈は、場所・時間・回収の仕組みを決めたうえで続けられている、珍しい例です。
平渓へ行くなら、台北から台湾鉄道で瑞芳へ向かい、平渓線に乗り換えるのが基本です。所要は1.5時間ほどですが、平渓線は1時間に1本程度しか走りません。乗り換えや十分の町歩きは、地図付きのガイドブックで確かめると分かりやすくなります。
天燈は、山賊から家族を守るための合図として生まれ、炭鉱の衰退を越えて、町の顔になりました。上げた灯りを見送るだけでなく、落ちた紙を拾って歩く人がいて、この行事は続いています。旧暦の元宵節に平渓を訪ねるなら、願いを書いた天燈を、決められた場所と時間で上げてください。
参考にした資料