夢の国のお城のモデルといわれるドイツの城とは
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ドイツ南部の山にそびえる白い城、ノイシュバンシュタイン。夢の国のお城のモデルになったとよく紹介されますが、ディズニーの公式アーカイブは「多くの点で似ているが、手本は複数の中世の城」と説明しています。
この城を造らせたのは、物語の世界にあこがれたバイエルン王ルートヴィヒ2世です。下絵を描いたのは舞台美術家で、王が暮らせたのは完成前のわずかな期間でした。よく聞かれる疑問に順に答えていきます。
ディズニーのお城のモデルって本当?
半分だけ本当です。ディズニーの公式アーカイブ「D23」は、カリフォルニアのディズニーランドにある眠れる森の美女の城について、バイエルンのノイシュバンシュタイン城と多くの点で似ていると認めています。そのうえで、手本になったのは複数の中世ヨーロッパの城だ、と説明しています。
形を決めるうえで大きな役割を果たしたのは、美術家のハーブ・ライマンです。城の前には、彼の功績をたたえる木が植えられています。
大きさもまったく違います。ディズニーランドの城は、堀からの高さが77フィート(約23メートル)しかありません。親しみやすさを狙って小さく造り、石積みの模様で遠近感を強めて、実際より大きく見せています。「モデルはノイシュバンシュタイン城ただ1つ」という言い方は、公式の説明とは一致しません。
なぜ王は山の上に城を建てたの?
王が公の暮らしから身を引くためです。城を管理するバイエルン城郭管理局の公式サイトは、ルートヴィヒ2世が「公の生活から退くため」にこの城を建てたと説明しています。軍事的な目的はありませんでした。
背景には、王の立場の変化があります。ルートヴィヒ2世が即位したのは1864年3月10日、18歳のときです。ところが1866年、バイエルンはプロイセンとの戦争に敗れ、同盟を結ばされます。公式サイトは、この時点で王はもはや主権を持つ君主ではなくなった、と書いています。
現実の王国で思うようにならない王は、自分だけの王国を思い描くようになります。1867年には、復元されたばかりのヴァルトブルク城を訪れました。この城の「歌人の広間」が、新しい城の手本の1つになります。
設計したのは建築家じゃないの?
出発点は建築家の図面ではありません。ミュンヘンの舞台美術家クリスティアン・ヤンクが描いた、舞台装置のような絵です。建築家エドゥアルト・リーデルは、その絵をもとに実際に建てられる形を考える役でした。
工事は1868年の夏に始まりました。土台を据えるため、岩山を最大8メートルも削っています。1869年6月に新しい道路ができ、同じ年の9月5日に定礎式が行われました。芝居の書き割りのような絵が先にあり、あとから石を積んで形にした城。絵本のように見えるのは、生まれ方からして自然なことです。
城の中には何が描かれているの?
中世の伝説の場面です。王が心酔していたのは作曲家リヒャルト・ワーグナーで、1864年5月4日に初めて対面しています。ただし公式サイトによると、壁画はワーグナーの歌劇そのものではなく、ワーグナーも題材にした中世の伝説をもとに描かれています。中心になる人物は、タンホイザーとローエングリン、パルツィヴァルの3人です。
城のあちこちに白鳥が現れるのにも、2つの理由があります。1つは、王が子どものころから親しんだ白鳥の騎士ローエングリンの伝説です。王は1861年2月2日、ミュンヘンの宮廷歌劇場でワーグナーの『ローエングリン』を初めて観て、心を奪われました。もう1つは、この土地を治めたシュヴァンガウの騎士の紋章が白鳥だったことです。
この2つを王に植え付けたのは、父マクシミリアン2世です。父は1832年、シュヴァンシュタインという古城の廃墟を、ゴシック様式で建て直させました。これが今のホーエンシュヴァンガウ城です。父はシュヴァンガウの騎士の後継ぎを自任して紋章も受け継ぎ、城の壁には白鳥の騎士の伝説を描かせました。ルートヴィヒは幼いころからその壁画を見て育ち、自分を本物の騎士のように感じるようになっていきます。父は1840年代、妻マリーの誕生日の贈り物として、近くのペラト渓谷にマリエン橋も架けさせています。
謁見の間として計画された部屋も、伝説の「聖杯の広間」を写した大きな玉座の間に変わりました。この広間は、当時としては最新の鉄骨の構造で造られています。
19世紀の城なのに設備は新しかったの?
見た目は中世風でも、中身は当時の最新技術です。公式サイトは、主館に次の設備があったと紹介しています。
- 温風を送るセントラルヒーティング
- すべての階に引かれた水道
- 食事を運ぶための昇降機
- 3階と4階の電話
工事のクレーンは蒸気機関で動き、窓には当時としては珍しい大きな板ガラスが使われました。中世の物語の世界を、19世紀の技術で支えていた城です。
王はこの城にどれくらい住んだの?
2年ほどです。工事はおおむね次のように進みました。
| 年月日 | できごと |
|---|---|
| 1869年9月5日 | 定礎式 |
| 1872年6月11日 | 門棟の上棟式。門棟は1873年末に住めるようになり、王は工事を見に来るたびに仮住まいにした |
| 1880年1月29日 | 主館の上棟式 |
| 1884年 | 内装と設備が、細部を残して完成。王が城に移り住む |
| 1886年6月9日 | 王が統治できないと宣告される |
| 1886年6月13日 | 王がシュタルンベルク湖で、医師グッデンとともに亡くなる(40歳) |
| 1892年 | 当初の計画より簡素にした「ボーワー」と四角い塔が完成 |
公式サイトは、王は新しい城を「工事現場としてしか見なかった」と書いています。計画されていた「ムーア風の広間」は造られず、騎士の浴場の予定地は、いまは見学者用の階段になっています。
名前も、王の存命中は「新ホーエンシュヴァンガウ城」でした。「ノイシュバンシュタイン(新しい白鳥の石)」という今の名前は、王の死後に付きました。
いまはどんな場所になっているの?
ドイツを代表する観光地です。城は王の死からわずか7週間後に一般公開されました。いまは毎年約140万人が訪れ、夏には1日に約6,000人が、たった1人の住人のために造られた部屋を歩いています。
2025年7月12日、パリで開かれた第47回世界遺産委員会で、4つの城がまとめて世界遺産に決まりました。対象はノイシュバンシュタイン・リンダーホーフ城・シャッヘンの王の家・ヘレンキームゼー城の4か所で、登録名は「バイエルン王ルートヴィヒ2世の城群」です。ドイツで55件目の世界遺産です。リンダーホーフ城は1878年に完成し、同じ1878年の5月21日には、ヘレンキームゼー城の定礎式が行われました。ノイシュバンシュタインと並行して、王はいくつもの城づくりを進めていたことになります。
4つの城は、バイエルン州の各地に離れて建っています。実際に訪ねる順番や、ロマンティック街道沿いの町と組み合わせた回り方を考えるなら、地図つきの南ドイツのガイドブックが便利です。
まとめ
ノイシュバンシュタイン城は、ディズニーの城と多くの点で似ていますが、唯一のモデルではありません。戦争に敗れて主権を失った王が、公の暮らしから退くために建てた城で、下絵は舞台美術家ヤンクの手によるものです。王が暮らせたのは1884年から1886年までの約2年で、計画の一部は造られないまま残りました。
次にあの白い城の写真を見かけたら、建築家ではなく舞台の絵描きから始まった城だと思って眺めてみてください。白鳥の飾りや大きな窓ガラスに、王の好みと19世紀の技術が見えてきます。
参考にした資料
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — Neuschwanstein Castle: The idea and building history
- D23(ウォルト・ディズニー公式アーカイブ) — Sleeping Beauty Castle
- ドイツ連邦外務省 — Inscription of the castles of King Ludwig II of Bavaria to the UNESCO World Heritage List
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — Neuschwanstein Castle
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — Building history
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — Interior
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — The swan
- バイエルン城郭管理局 公式サイト — Ludwig II: Dates