雑学

ピラミッドは約3800年間、世界一高い建物だった

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
ピラミッドは約3800年間、世界一高い建物だった

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ギザの大ピラミッドは完成時の高さが146.6メートルあり、1311年にイギリスのリンカン大聖堂が尖塔で抜くまで、約3800年間も人が造った世界一高い建造物でした。

この記事では、高さ・重さ・誤差・人数といった数字を順に並べます。今は138.5メートルしかない理由や、3800年という年数の数え方の幅もあわせて見ていきます。

146.6メートルから138.5メートルへ

建てさせたのは古王国時代のクフ王です。エジプト観光考古省は、在位を紀元前2589年から2566年ごろとしています。まずは主な数字を表にまとめます。

大ピラミッドの主な数字
項目数字
完成時の高さ146.6メートル(280キュビット)
現在の高さ138.5メートル
底辺の一辺約230.3メートル(440キュビット)
側面の傾き51度50分40秒
石の数約230万個
総重量約600万トン
体積約260万立方メートル(内部の岩山を含む)
内部の部屋3つ(地下の岩盤に1つ、石積みの中に2つ)

高さが8.1メートル減ったのは、表面を覆っていた化粧石がなくなったからです。化粧石はナイル川の対岸にあるトゥーラの採石場で切り出した白い石灰岩で、船で運ばれました。

中世にエジプト北部が地震に見舞われたあと、緩んだ化粧石は少しずつ持ち去られます。1356年には、スルタンのハサンが石をカイロへ運ばせたと伝えられます。いま見えている段々の表面は、化粧石の下に隠れていた石です。

隣に立つカフラー王のピラミッドは、完成時の高さが143.5メートルでした。クフ王のものより3メートル低いのに、写真ではこちらが高く見えることがあります。土台の岩盤が10メートルほど高い場所にあるためです。カフラー王のピラミッドは頂上近くに化粧石が残っていて、完成時の姿を思い描く手がかりになります。

3800年の記録と、それを抜いた尖塔

クフ王の時代から1311年までは、およそ3800年から3900年です。エジプト観光考古省が紹介する「3800年」は、この期間を指しています。

完成した時期は、石の間に詰めたモルタルからも確かめられています。1984年と1995年に採った46点の試料を放射性炭素で測ると、紀元前2871〜2604年という値が出ました。より新しい試料を重く見た再分析では紀元前2620〜2484年となり、クフ王の在位とおおむね重なります。

記録の移り変わりを表にすると、次のようになります。

「世界一高い建造物」の移り変わり
建造物場所高さ世界一だった時期
大ピラミッドエジプト・ギザ146.6メートル紀元前26世紀〜1311年
リンカン大聖堂イギリス約160メートル(伝承)1311〜1548年
聖マリエン教会ドイツ・シュトラールズント151メートル1548〜1647年

リンカン大聖堂の尖塔は、鉛で覆った木造でした。1548年に嵐で倒れ、二度と建て直されていません。次に世界一となった聖マリエン教会の尖塔も、1647年に落雷で焼け落ちました。いまの同教会の塔は104メートルです。

中世の尖塔は測った記録が乏しく、リンカン大聖堂の160メートルにも「疑わしい」とする見方があります。

ロンドンの旧セント・ポール大聖堂の尖塔(1221年完成)を149メートルとして、こちらが先に抜いたとする数え方もあります。この場合、ピラミッドの記録は3700年あまりです。一方で建築家のクリストファー・レンは、この尖塔を140メートルと見積もりました。その数字ならピラミッドには届きません。

どの説をとっても、記録が3700年以上続いたことは変わりません。

誤差は数センチ

大きさと並んで驚かされるのが、造りの正確さです。調査で分かっている誤差を並べます。

58ミリは、約230メートルの辺に対して0.025パーセントほどです。25メートルプールに置き換えると、6ミリ余りの狂いしかない計算になります。

傾きの51度50分40秒も、当時の単位で見ると素直な数字です。古代エジプトでは坂の勾配を「セケド」で表しました。高さ1キュビット(7パーム)上がる間に、水平に何パーム進むかを示す単位です。

大ピラミッドのセケドは5.5パームです。高さ280キュビットに対し、底辺の半分は220キュビット。220対280は5.5対7で、寸法がセケドの比率で決まっていたことが分かります。

何人で、何年かけたか

工期の見積もりには幅があります。エジプト観光考古省は10年から20年、古代ギリシャのヘロドトスは20年と書きました。230万個の石を20年で積むなら、1年に約11万5千個、1日あたり約315個です。10年なら1日630個になります。

人数も同じです。ヘロドトスは10万人が3か月交代で働いたと書き、紀元前1世紀のディオドロスは36万人としました。1999年に考古学者マーク・レーナーらが加わった建設管理の研究では、平均約1万3200人、最も多い時期で約4万人と見積もられています。

現場の様子を数字で伝えるのが「メレルの日誌」です。2013年、紅海沿岸のワディ・アルジャルフでフランスの調査隊が見つけました。文字が書かれたパピルスとしては最古のもので、クフ王の治世26年から27年ごろの記録です。

1か月に200個は、1日あたり7個に届きません。メレルの隊が運んだのは化粧石用の石灰岩で、全体のごく一部です。1日数百個という全体のペースと比べると、多くの隊が同時に動く必要があったことが計算からも見えてきます。日誌には、ピラミッドの当時の名前「アケト・クフ(クフの地平線)」も出てきます。

ピラミッドの南側の穴からは、分解された大きな船が2隻見つかっています。王のミイラや副葬品を運ぶための船と考えられています。

石を高く上げる方法は、まだ決着していません。2018年、リヴァプール大学とフランス東洋考古学研究所の調査隊が、ハトヌブの採石場でクフ王時代の傾斜路を見つけました。中央の坂の両側に階段があり、杭の穴が並んでいます。そりを綱で杭に結んで引けば、20パーセント以上の急な坂でも石を上げられます。ただし大ピラミッド本体で同じ方法が使われた証拠は、まだ見つかっていません。

よくある疑問

ピラミッドは奴隷が造ったのですか?
奴隷が造ったという話は、ヘロドトスの記述が元になった見方です。現在は、国に集められた労働者が交代で働いたと考えられています。メレルの日誌からも、役人が隊を率いて仕事を記録していた様子が分かります。
石はすべてギザで採れたものですか?
いいえ。表面の化粧石はナイル川対岸のトゥーラ産で、王の間などの花崗岩は900キロ以上南のアスワン産です。花崗岩の大きなものは、1個25〜80トンあります。

まとめ

大ピラミッドは完成時146.6メートル、今は138.5メートルです。高さの記録は数え方によって3700年から3900年ほど続き、中世の大聖堂の尖塔がそれを抜きました。

底面の高低差21ミリ、辺の誤差58ミリという正確さも、高さと同じくらい語られてよい数字です。ギザの写真を見る機会があれば、頂に化粧石を残すカフラー王のピラミッドと見比べてみてください。失われた8メートルの姿が想像しやすくなります。

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