雑学

リオのキリスト像が雷でたびたび傷つくって本当?Ÿ

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
リオのキリスト像が雷でたびたび傷つくって本当?Ÿ

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リオデジャネイロのキリスト像が雷でたびたび傷つく話は、本当です。像には年に平均3〜5回の雷が落ち、2008年と2014年には指や頭が欠けて修復されました。

像は標高約700メートルの丘の頂上に立つ、高さ30メートルの石張りの像です。1850年代の最初の提案から、落雷と修復をくり返す現在まで、像の歩みを年代順にたどります。

1850年代:最初の提案と立ち消え

コルコバードの丘に宗教の記念碑を建てる話は、像の完成より80年ほど前に始まります。1850年代の半ば、カトリックのヴィンセンシオ会の神父ペドロ・マリア・ボスが、皇女イザベルをたたえる記念碑を提案しました。

この案は認められませんでした。1889年にブラジルが帝政から共和制に変わると、計画は立ち消えになります。

そのころ丘には、像より先に鉄道が通っていました。1884年、皇帝ペドロ2世が開通させたコルコバード登山鉄道です。全長は約3.8キロメートルで、1910年にはブラジルで初めて電化されました。今も20分ごとに列車が出ています。

動きが戻ったのは、第一次世界大戦のあとです。CNNによると、像は戦後の社会に広がった信仰離れへの答えとして構想されました。1920年、リオのカトリック団体「カトリック・サークル」が2度目の提案をしました。「記念碑週間」と呼ぶ催しを開き、市民から寄付と署名を集めています。候補の図案には、十字架を持つキリストや、地球儀を抱えたキリストもありました。最後に選ばれたのが、両腕を広げた今の姿です。

1922〜1931年:設計と建設

1922年2月、設計競技で技師エイトル・ダ・シルヴァ・コスタの案が選ばれました。画家カルロス・オズワルドが図案を簡潔な形に改め、フランスの彫刻家ポール・ランドフスキが像を形づくります。顔を彫ったのは、ルーマニア出身の彫刻家ゲオルゲ・レオニダです。

骨組みには、鉄ではなく鉄筋コンクリートが選ばれました。フランスの技師アルベール・カコーらが、この方法を勧めています。台座のコンクリートは、スウェーデンのリムハムから運ばれました。

表面を覆ったのは、ミナスジェライス州の石切り場で採れた滑石(ソープストーン)です。落ち着いた灰緑色が決め手になりました。1枚は長さ約4センチ、厚さ約5ミリの小さな板で、全部で約600万枚を貼り合わせています。石の肌は、モザイクのように細かい板の集まりです。

工事は1922年から1931年まで、9年かかりました。1931年10月12日の完成の夜には、演出が用意されていました。無線通信の開発で知られるイタリアのグリエルモ・マルコーニが、ローマから遠隔操作で投光照明をともす計画です。ところが当日は天気が悪く、明かりは現地で点灯されました。

完成した像の高さは30メートル、台座の8メートルを足すと38メートルになります。広げた両腕の幅は28メートル、重さは635トンです。建設費は当時の25万ドルで、2025年の価値に直すと約450万ドルとされます。

2000年代:名所になり、雷に打たれる

21世紀に入ると、像は観光地としての設備を整えていきます。2003年には、展望台まで上るエスカレーターと歩道、エレベーターが取り付けられました。

2006年10月には、像の足元に礼拝堂ができました。アパレシーダの聖母にささげられた礼拝堂で、リオの枢機卿が聖別しました。2007年7月7日には、「新・世界七不思議」の1つに選ばれました。2008年にはブラジルの文化財を守る国の機関IPHANが、像を文化財に登録しています。

名所になるほど、像を訪れる人も増えました。今では年に約200万人が足を運びます。

名所としての顔の裏で、像は雷とも向き合ってきました。雷は、周りより高く突き出た物に落ちやすい性質があります。丘の頂上に立つ38メートルの像は、まさにその条件にあたります。ブラジル国立宇宙研究所によると、像には平均して年に3〜5回、雷が落ちています。像の頭と両腕には避雷針があり、多くの落雷は大きな被害を残しません。

記録に残る大きな被害は2回です。2008年2月10日の落雷では、指と頭、まゆの部分が傷つきました。このときは外側の滑石の一部を取り替え、避雷針も直しています。

2010年代から今:落雷と修復のくり返し

2010年の改修は4か月かけて行われました。内部の骨組みや滑石の表面に加え、避雷針と照明も手入れしています。この工事の最中には、何者かが像の腕にスプレーで落書きをする事件も起きました。

2014年1月17日には、3時間ほど続いた激しい雷雨の中で、右手の指が欠けました。同研究センターによると、その夜のリオでは4万回を超える雷の光と音が観測されています。欠けた指は、報道によって親指とも中指とも書かれています。

2014年の修復は約85万ドルで、7月11日に作業を終えました。このとき、新しい避雷針も取り付けています。

避雷針は、雷の電流を地面へ逃がして本体を守る装置です。ただ、細かな石の板を貼った表面までは、すべてを守りきれません。2008年と2014年の被害は、どちらも表面の石が欠けたものでした。

こうした手入れは今に始まったことではありません。像は1980年以降、ほぼ10年ごとに大きな修復を受けてきました。ここまでの主な出来事を年表にまとめます。

キリスト像の年表(Wikipedia、CNN、AP通信などの報道をもとに作成)
年出来事
1850年代半ばペドロ・マリア・ボス神父が記念碑を提案(認められず)
1889年ブラジルが共和制になり、計画が立ち消え
1920年カトリック・サークルが2度目の提案。「記念碑週間」で寄付を集める
1922年設計競技でシルヴァ・コスタの案が選ばれる
1931年10月12日像が完成
1990年リオの大司教区や市が修復の協定を結ぶ。市の文化財になる
2003年展望台へのエスカレーターとエレベーターができる
2007年7月7日「新・世界七不思議」の1つに選ばれる
2008年2月10日落雷で指・頭・まゆが傷つく
2010年約400万ドルをかけ、4か月の大改修
2012年ユネスコの世界遺産に登録される
2014年1月17日落雷で右手の指が欠ける。7月11日に修復を終える
2020〜2022年表面の板の約5%(約30万枚)を張り替える

修復でいちばん手間がかかるのは、石の色合わせです。1931年の石は、落ち着いた灰緑色が決め手で選ばれました。張り替えた板だけが浮いて見えないように、色を合わせる必要があります。2020〜2022年の修復では、ミナスジェライス州のほかの石切り場から石を探し、元の色に近いものを選びました。担当者は、候補の板の8割を使えないとして外しています。

雷への備えも強められました。2021年には頭の避雷針が4倍に増やされ、電流を地面へ流す設備も広げられています。

キリスト像は2012年に、ユネスコの世界遺産の一部になりました。世界の遺産を写真で見比べながら、それぞれの成り立ちを知りたいなら、世界遺産の図鑑が分かりやすい入口です。

いま残っているもの

キリスト像には年に平均3〜5回の雷が落ち、2008年と2014年には指や頭が欠けました。そのたびに、約600万枚の小さな滑石の板を少しずつ張り替えながら、1931年の姿を保っています。

リオの写真や映像で像を見かけたら、右手の指先に目を向けてみてください。雷で欠け、色を合わせた石で直された場所です。

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