科学

柳の木から生まれた、身近な薬アスピリンの歴史

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
柳の木から生まれた、身近な薬アスピリンの歴史

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アスピリンのルーツは柳の樹皮です。ただし、柳の木にアスピリンそのものは入っていません。樹皮の苦みに目を付けた牧師の報告から130年あまり、化学者たちが改良を重ね、1897年8月10日にドイツの研究室でアスピリンにたどり着きました。

この記事では1763年の牧師の報告から、効く仕組みが分かった1971年までを、人物と年の順にたどります。よく語られる「古代ギリシャの医者も柳を使った」という話が、実は怪しいことにも触れます。

古代の柳の言い伝え

アスピリンの歴史は、よく古代ギリシャの医者ヒポクラテスから語り始められます。紀元前400年ごろ、柳を熱や痛みの薬として書き残した、という話です。ドイツ特許商標庁(DPMA)の解説も、この説を紹介しています。

ところが、この話には異論があります。西オーストラリア大学で薬理学を教えるフィリッパ・マーティアは、2020年の記事で「ヒポクラテスの著作に柳はほとんど出てこない」と指摘しました。見つかったのは、柳の葉を燃やした煙を使う処置が1か所だけです。

マーティアは、量の面からも疑問を示しています。ヨーロッパで身近なセイヨウシロヤナギの樹皮には、サリシンがあまり多く含まれません。薬として働くほどのサリシンを、樹皮をかんだりお茶にしたりして取るのは、かなり難しいといいます。

古代から柳が薬だった、という話は、アスピリンが有名になったあとに広まった面があります。確かな記録として残る出発点は、18世紀のイギリスです。

1763年、牧師ストーンの報告

記録を残したのは、イギリスの牧師エドワード・ストーンです。1763年4月25日付で、王立協会の会長マクルズフィールド伯に手紙を送りました。題は「瘧(おこり)の治療における柳の樹皮の効き目について」。瘧とは、寒気と高い熱をくり返す病気のことです。

手紙によると、ストーンは「6年ほど前」にたまたま柳の樹皮をかじり、ひどい苦さに驚きました。当時、熱の薬として知られていたのは、南米から運ばれるキナ皮です。苦い味が似ていることから、同じように効くのではと考えました。

ストーンは約1ポンド(450グラムほど)の樹皮を袋に入れ、3か月以上かけて乾かしてから粉にしました。そして5年にわたって、およそ50人の患者に試したと報告しています。長引いた一部の例を除けば、うまくいったと書いています。

この手紙は、同じ年に王立協会の学術誌に載りました。ただ、なぜ効くのかは、まだ誰にも分かりませんでした。

1828〜1874年、樹皮から工場へ

苦い成分の正体に迫ったのは、19世紀の化学者たちです。1828年、ドイツのヨハン・アンドレアス・ブフナーが、柳の樹皮から結晶を取り出しました。柳のラテン語名サリックス(salix)にちなみ、サリシンと名づけています。翌1829年には、フランスのピエール=ジョゼフ・ルルーが別の取り出し方を考えました。

1838年、イタリアのラファエレ・ピリアが、サリシンからサリチル酸をつくります。同じころドイツのカール・レーヴィヒは、野草のセイヨウナツユキソウ(当時の学名スピラエア・ウルマリア)から取れる酸がサリチル酸と同じ物だと気づきました。

サリチル酸は熱や痛みによく効きましたが、強い酸で胃を荒らします。それでも需要は大きく、1874年には、ドイツのハイデン化学工場がサリチル酸の工業生産を始めました。DPMAは、これを「世界で初めて工業的に生産され、包装された薬」と紹介しています。

効くのに、飲み続けるのがつらい。この弱点を消すことが、次の課題になりました。

1897年、バイエル社の合成

1897年8月10日、ドイツのエルバーフェルト(今のヴッパータール)にあるバイエル社の研究室で、アセチルサリチル酸が純粋な形で合成されました。サリチル酸に無水酢酸を反応させる方法で、これが今のアスピリンです。

同じ化合物は、実はもっと前に生まれていました。1853年、フランスのシャルル・ジェラールが、ストラスブールでつくっています。ただ、純度が低く、薬として使える物ではありませんでした。バイエル社の手柄は、純度の高い物を安定してつくれるようにしたことです。

合成したのは、化学者フェリックス・ホフマンとされてきました。ところが同僚のアルトゥール・アイヒェングリューンは、のちに「自分が指示し、ホフマンは実験しただけだ」と主張します。ユダヤ系だったアイヒェングリューンは1944年にナチスに連行され、収容所からバイエル社へ手紙でそう訴えました。

この主張は長く顧みられませんでした。DPMAは、近年の研究がアイヒェングリューンの役割を重く見ていると書いたうえで、アスピリンはチームの成果とみるほうが自然だとしています。一方、バイエル社はこの見方に異を唱えてきました。

1899〜1971年、名前と効く理由

1899年3月6日、「アスピリン」はドイツ帝国特許庁の商標登録簿に載りました。名前は柳と関係がありません。頭の「A」はアセチル、「spir」はセイヨウナツユキソウの酸を指したドイツ語スピールゾイレから取り、そこに薬の名前によく使われた語尾「in」を付けています。

同じ年、アスピリンを使った最初の臨床研究が発表されました。ところが、製法そのものの特許は、ドイツでは認められませんでした。発明としての進歩が足りないと判断されたためです。背景には、ハイデン化学工場が1897年から、アセチルサリチル酸を薬として売り出していたこともありました。

名前も、長くは守れませんでした。第一次世界大戦中、ドイツと戦った多くの国でアスピリンの商標は取り上げられるか、誰でも使える言葉にされました。アメリカではバイエルの名前と事業が売却され、バイエル社がアメリカでの権利を買い戻したのは1994年です。

それほど広く使われても、なぜ痛みが引くのかは謎のままでした。1971年、イギリスの薬理学者ジョン・ベインが「アスピリンは体内でプロスタグランジンがつくられるのを妨げる」と発表します。プロスタグランジンは、炎症や痛み、発熱にかかわる物質です。ベインはこの研究などで、1982年のノーベル生理学・医学賞を受けました。

化学式の変化や、ほかの薬との競争の歴史まで追うなら、医薬品の歴史を扱った新書が詳しく書いています。キナ皮から生まれたキニーネなど、ストーンの話と地続きの薬も出てきます。

年表でたどる250年

柳の樹皮からアスピリンまで(DPMA・王立協会紀要などをもとに作成)
年人物・組織出来事
1763年エドワード・ストーン柳の樹皮の粉で約50人を治療したと王立協会に報告
1828年ヨハン・A・ブフナー樹皮から成分を取り出し、サリシンと命名
1838年ラファエレ・ピリアサリシンからサリチル酸をつくる
1853年シャルル・ジェラールアセチルサリチル酸を初めて合成(純度は低い)
1874年ハイデン化学工場サリチル酸の工業生産を始める
1897年バイエル社純粋なアセチルサリチル酸を合成
1899年バイエル社「アスピリン」を商標登録
1971年ジョン・ベインプロスタグランジンを妨げる仕組みを発表
1982年ジョン・ベインノーベル生理学・医学賞

いまアスピリンは、世界保健機関(WHO)の必須医薬品リストに載っています。世界で1年に使われる量は、推計で約4万トンです。

ただし、誰でも使える薬ではありません。イギリスの国民保健サービス(NHS)は、15歳以下の子どもにアスピリンを与えないよう呼びかけています。まれにライ症候群という重い病気を起こすことがあるためです。ぜんそくや胃かいようのある人など、使う前に医師や薬剤師に相談すべき人も挙げています。

家の薬箱にある痛み止めの成分欄を見てみてください。アセチルサリチル酸と書かれていれば、それが牧師の手紙から130年あまり、化学者たちが改良を重ねて届いた薬です。

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