雑学

スコットランドの火祭り、始まりは1881年だった

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了8分
スコットランドの火祭り、始まりは1881年だった

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スコットランドのシェトランド諸島の火祭り「アップ・ヘリー・アー」は、古代から続く行事ではありません。祭りの日に初めてたいまつ行列が出たのは1881年で、バイキング船を燃やし始めたのは1889年です。

始まりは、荒っぽい冬の騒ぎを町の若者たちが作り替えたことでした。バイキングの色は、そのあと数十年かけて足されていきます。この記事では、1820年代から2023年までの約200年を年代順にたどります。

ナポレオン戦争のあとの荒れた冬(1820〜1860年代)

舞台は、シェトランド諸島の中心の町ラーウィックです。スコットランド本土から北へ約170キロ、ノルウェーからは西へ約220キロ離れた、北の海の島にあります。

祭りの公式サイトによると、ラーウィックで冬の騒ぎが始まったのは、ナポレオン戦争(1815年に終結)のあとです。戦場や軍艦から戻った兵士と水夫が、荒っぽい遊び方と銃を町に持ち込みました。1824年に島を訪れたメソジスト派の宣教師は、旧暦のクリスマス・イブの夜について「町じゅうが大騒ぎだった」と書き残しています。

1840年ごろには、火のついたタールの樽が加わりました。若者たちは燃える樽を、いかだのような台やそりに載せて通りを引き回します。ラーウィックの目抜き通りはとても狭く、張り合うグループどうしのけんかも起きました。町の議会はクリスマスのたびに臨時の警官を置きましたが、騒ぎは収まりませんでした。

タール樽をやめて、たいまつへ(1870〜1882年)

タール樽の騒ぎは、1870年代の前半に終わります。スコットランド歴史環境局は「1874年に禁止された」と書いています。一方で祭りの公式サイトは、ラーウィックの若者たち自身が「そろそろ変えよう」と決めたのが理由らしい、と説明しています。

代わりを考えたのは、学問好きの若者のグループでした。1870年ごろから、彼らは3つの変更を加えます。祭りを「アップ・ヘリー・アー」と名づけたこと。祝う日を少しずつ1月の終わりへ移したこと。そして凝った仮装(ギザー)と、たいまつ行列を始めたことです。

名前の意味については、1818年のジョン・ジェイミソンの辞書が手がかりになります。「アップ」は何かが終わること、「ヘリー」は聖なる日や祝いの日を指します。「アー」は「すべて」を表すスコットランド語だと考えられています。クリスマスから続いた冬の祝いが、これで全部おしまい。そんな意味の名前です。

たいまつ行列は1876年にまずクリスマスの時期に行われ、1881年に初めてアップ・ヘリー・アーの日に行われました。翌1882年には、ピーター・W・グレイグが初代の「ワーシー・チーフ・ギザー」(仮装の長)に選ばれ、運営委員会もできています。

バイキングが加わった(1877〜1921年)

バイキングの気配が初めて見えたのは1877年です。シェトランドには8世紀の終わりから9世紀にかけて北欧の人々が住みつきました。1469年ごろ、デンマーク・ノルウェー王が持参金の担保としてスコットランドに差し出すまで、島は北欧の王のものでした。祭りの作り手たちは、その記憶を舞台装置に選びます。

1889年、初めてバイキング船(ギャレー)が作られ、燃やされました。1894年には地元の作家ハルデイン・バージェスが『ザ・バイキング・パス』を書き、祭りの歌も作っています。この作品が、祭りのバイキング色を強めました。1906年には、仮装の長の呼び名が「ギザー・ヤール」に改められ、J・W・ロバートソンが最初のヤールになりました。ヤールは毎年、北欧のサガ(伝説)の登場人物の名を名乗ります。

アップ・ヘリー・アーの年表(公式サイト・NorthLink Ferries などの資料をもとに作成)
年できごと
1840年ごろ燃えるタール樽を引き回す騒ぎが始まる
1870年代前半タール樽をやめる(1874年に禁止とする資料もある)
1881年祭りの日に初めてのたいまつ行列
1889年初めてバイキング船を作って燃やす
1901年ビクトリア女王の死去で中止
1906年「ギザー・ヤール」の呼び名が生まれる
1908年開催日を1月の最終火曜日に固定
1915〜1919年第一次世界大戦で中断
1940〜1948年第二次世界大戦で中断
1956年子どもの部「ジュニア・アップ・ヘリー・アー」が始まる
2021〜2022年新型コロナで中止
2023年女性と女の子も隊に加われるようになる

開催日は年によって動いていましたが、1908年に「1月の最終火曜日」と決まりました。1912年からは港の若者たちが船作りに専念し、全長30フィート(約9メートル)の船が祭りの主役になります。第一次世界大戦で1915〜1919年に中断したあと、1921年にはヤールの隊が全員バイキングの衣装をまとう決まりができました。いま思い浮かべる祭りの姿は、ほぼこのころにそろっています。

戦争と時代の波をこえて(1940〜2022年)

第二次世界大戦中の1940〜1948年、祭りは再び止まります。戦後の1949年に再開すると、英国放送協会(BBC)が大きなラジオ番組を収録しました。島の外に名が知られていくのは、このころからです。

1956年には、ラーウィックの学校の校長が子どもの部を始めました。1958年には、ノルウェーの町モーロイから銀の船の模型が贈られています。ヤールの隊は今も毎年ラーウィックの町役場を訪れ、この銀の船で乾杯します。祭りが北欧との交流の場にもなった、という1つの例です。

1969年には、セント・サニヴァ通りの船小屋(ギャレー・シェッド)が常設の作業場になりました。新型コロナの流行で2021年と2022年は中止となり、2023年に3年ぶりに開かれています。

2023年に変わったこと

今のラーウィックの祭りでは、ヤールの隊のほかに46の隊が参加し、仮装した人は最大で約1,000人にのぼります。各隊は9月の初めから準備に入り、ヤールの隊は祭りのほぼ1年前の2月から衣装作りを始めます。船とたいまつは、冬のあいだに作られます。

当日の夜は、たいまつ行列のあと、全員がたいまつを船に投げ込んで燃やします。炎が収まるころに祭りの歌を歌い、各隊は夜通し町の学校やホテルなどの会場を回って、出し物を披露します。翌日の夜は「ホップ・ナイト」と呼ばれ、踊りと祝いが続きます。

大きく変わったのが2023年です。ラーウィックの行列は長いあいだ男性だけの行事でしたが、この年から女性と女の子も隊に加われるようになりました。実は1901年にも、仮装で正体を隠して行進に紛れ込んだ女性がいたと伝わっています。島の南部の祭りでは、2015年に女性のヤールが選ばれていました。

アップ・ヘリー・アーは今、シェトランドの11か所で開かれ、時期は1月中旬から3月末まで幅があります。ヤールの隊が名乗るサガの英雄や、バージェスが憧れた北欧の物語の世界は、ゆっくり本で読むと祭りの見え方が変わります。神々と巨人の神話は、児童文庫でも手軽に読めます。

いま残っているもの

燃えるバイキング船は、古代の儀式の名残ではありません。1840年ごろのタール樽の騒ぎを、1870年代の若者たちがたいまつ行列に作り替えました。そこへ1889年に船、1906年にヤールを加えてできた祭りです。それでも中止や男性限定の見直しを経て、140年以上続いてきました。

2027年のラーウィックの祭りは、1月26日(火)の予定です。燃える船の写真をニュースで見かけたら、その横に「1881年」と「1889年」の2つの年を思い出してみてください。

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