雑学

サウジアラビアで女性の運転が解禁された日

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
サウジアラビアで女性の運転が解禁された日

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サウジアラビアで女性の運転が解禁されたのは、2018年6月24日です。それまで同国は、女性の運転を禁じている世界で唯一の国でした。

意外なことに、この禁止を定めた法律の条文はありませんでした。それでも1990年から28年にわたって、女性はハンドルを握れなかったのです。この記事では、抗議と政府の対応を年ごとに比べ、日本の歩みとも並べてみます。

解禁は2018年6月24日

サルマン国王が女性の運転を認める勅令を出したのは2017年9月26日です。実際に解禁されたのは、その約9か月後の2018年6月24日でした。

空白の期間があったのは、運転免許の制度や交通行政の準備に時間が必要だったからです。勅令は、担当の省庁でつくる委員会に、30日以内に実施の方法をまとめるよう求めていました。女性への運転免許の交付は、解禁より前の2018年6月に始まっています。

解禁の直前には、交通当局が3日間の周知キャンペーンを行いました。解禁の日、当局は「すべての女性が国内のどこでも車を運転する権利を持つ」と発表しています。一方で、女性の人権団体イクオリティ・ナウは、女性の教習費用が男性の6倍かかると指摘していました。

法律ではなかった「禁止」

女性の運転を禁じる条文は、サウジアラビアの法律にはありませんでした。禁止を支えていたのは、宗教の判断と行政の手続きです。

1990年、国の高位の宗教学者でつくる上級ウラマー評議会が、女性の運転を禁じるファトワ(宗教上の見解)を出しました。理由に挙げたのは、「社会の混乱」を招くおそれです。当時の内務大臣ナーイフ王子はこれをもとに布告を出し、禁止は政府の方針になりました。

そのうえで、女性には運転免許が交付されませんでした。免許がなければ、運転は違法です。条文ではなく手続きによって、禁止が成り立っていたわけです。

2013年には、宗教警察のトップが「女性の運転を禁じる宗教の文言はない」と発言しています。宗教の判断が、国の制度をどう形づくるのか。ファトワやウラマーがイスラームの社会でどんな役目を持つのかは、短い記事より入門書でじっくり追うほうが分かりやすい話です。

28年の抗議と、政府の対応を比べる

禁止のあいだ、女性たちは何度も運転して抗議しました。行動の形と、それに対する扱いを並べると、変化の流れが見えます。

女性の運転をめぐる主な抗議と対応(Human Rights Watch などの資料をもとに作成)
年女性たちの行動当局の対応
1990年11月47人が車列を組み、首都リヤドを走る全員を拘束。男性の後見人が「二度と運転させない」と誓約して釈放。多くが職を停止された
2007年9月1,100人分の署名を国王に提出禁止は続く
2008年3月国際女性デーに、ワジーハ・フワイダーさんが自分の運転を撮った動画を公開動画が海外で大きく報じられる
2011年5〜6月マナル・アッシャリーフさんが運転の動画を公開。6月17日に各地で女性が運転アッシャリーフさんを約10日間拘束。むち打ち10回の判決を受けた女性もいたが、のちに取り消し
2013年10月26日多くの女性がそろって運転事前に警告し、リヤドで検問。逮捕者は出なかった
2014年11月ルジャイン・アルハズルールさんが隣国UAEから運転して入国を試みる同行者とともに70日以上拘束
2017年9月―国王が運転を認める勅令

1990年の参加者は、パスポートを取り上げられ、職を失った人もいました。2011年の運動は、インターネットの動画で広がった点が1990年と違います。2013年には大勢が運転しても逮捕者が出ず、取り締まりの姿勢が少しずつ揺れていたことが分かります。

抗議は、路上だけで行われたわけではありません。2011年6月17日に運転したマハ・アルカハタニさんは交通違反の切符を切られ、「サウジ女性への初めての違反切符」だと語りました。活動家のイマン・アルナフジャンさんによると、6月17日から月末までに記録された女性の運転は約70件にのぼります。同年11月にはアッシャリーフさんが、翌2012年2月には別の活動家サマル・バダウィさんが、免許の申請を退けられたことを不服として訴えを起こしています。2007年のギャラップ社の調査では、サウジアラビアの男女の多くが、女性の運転を認めるべきだと答えていました。

日本の歩みと比べると

運転は、女性が自分で移動できるかどうかに直結します。サウジアラビアでは長く、女性が旅行・仕事・進学・結婚をするのに、男性親族の許可が必要でした。この「男性後見人制度」と運転の禁止は、地続きの問題です。日本の同じような出来事と年を並べると、時間の差がはっきりします。

女性の権利にかかわる出来事の年の比較
出来事日本サウジアラビア
女性が初めて自動車の運転免許を取る1917年(渡辺はまさん)2018年6月
女性が初めて投票する1946年4月10日の衆議院議員総選挙(約1,380万人が投票)2015年12月12日の地方議会選挙
初めての女性議員の数39人約20人(約2,100議席中)
成人女性が許可なしでパスポートを取り、出国できる―2019年8月から(21歳以上)

日本で最初の女性ドライバーが生まれてから、サウジアラビアの解禁まで約100年です。いまの日本では、2024年末の運転免許保有者約8,174万人のうち、女性が約3,764万人で46.0%を占めます。

サウジアラビアの2015年の選挙も、条件は対等ではありませんでした。有権者登録をした女性は約13万人で、男性の約135万人の10分の1ほどです。女性の候補者は、男性の有権者に直接語りかけることを禁じられていました。

解禁の前後で変わったこと、変わらなかったこと

解禁には、明るいだけではない側面があります。解禁のおよそ1か月前の2018年5月、運転の権利を訴えてきた活動家たちが拘束されました。ルジャイン・アルハズルールさん、イマン・アルナフジャンさん、アジザ・アルユセフさんらです。アムネスティ・インターナショナルによると、解禁の日にも8人が拘束されたままで、一部は起訴されないまま1か月以上たっていました。2018年11月には、検察が最長で禁錮20年を求めていると報じられています。

アルハズルールさんは2020年12月28日、特別刑事裁判所で禁錮5年8か月(うち2年10か月は執行猶予)の判決を受けました。釈放されたのは2021年2月10日で、拘束は3年近くに及びました。

制度のほうは、その後も動きました。2019年8月、21歳以上の女性は男性後見人の許可なしでパスポートを申請し、出国できるようになります。旅行の許可の根拠になっていた旅券法の条文が削られ、8月20日から運用が始まりました。ただしHuman Rights Watchは、結婚には今も後見人の承認が要ることを挙げ、後見人が裁判所を通じて旅行を制限する余地も残ると指摘しています。

制度と人の扱いは別に動く

サウジアラビアの運転禁止は、条文のない禁止でした。1990年のファトワと内務省の布告で始まり、2017年の勅令と2018年6月24日の解禁で終わっています。その28年のあいだに、女性たちは署名や運転で何度も抗議し、そのたびに拘束や警告を受けてきました。

制度が変わっても、変えようとした人の扱いまで同時に変わるとは限りません。ニュースで「解禁」の一語を見たときは、表にした28年と、その日に自由でなかった人がいたことまで合わせて思い出してみてください。

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