床でこすったら火がついた、マッチが生まれた偶然
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こすれば火がつくマッチは、銃に使う薬を研究していた薬剤師の、かき混ぜ棒から偶然生まれました。1826年、イギリスのジョン・ウォーカーが棒の先に固まった薬を暖炉の床でこすり落とそうとした瞬間、炎が上がったのです。
翌1827年4月7日には、もう店で売られていました。この記事では、こすると燃える仕組みと今の安全マッチとの違い、よくある誤解の順に見ていきます。
かき混ぜ棒の先で起きたこと
ウォーカーは1781年、イングランド北東部の町ストックトン・オン・ティーズに生まれました。1818年ごろから町の大通りで薬局を営み、銃の発火に使う薬の研究もしていました。
地元ティーズ・バレーの博物館群によると、1826年のある日に薬を混ぜていた木の棒を自宅の炉床でこすったところ、火がつきました。ただし、この出来事を本人が書き残した記録は見つかっていません。発明の時期を示す一番古い証拠は、1827年4月7日付の売上の記録です。そこに書かれた「No.30」が製造番号なら、発明は1826年までさかのぼる、という見方もあります。
ウォーカーは偶然を偶然で終わらせず、配合を整えて商品にしました。最初は「硫黄つき過酸化摩擦棒」といった意味のラテン語風の名前で帳簿に付け、1827年9月までに「フリクション・ライト(摩擦の灯)」と呼ぶようになります。
- 軸:長さ約7.5センチの木の棒
- 作り方:軸を硫黄に浸し、先に薬を付ける
- 売り方:ブリキの筒に入れ、こするための紙やすりを添える
- 値段:100本と筒で1シリング2ペンス、84本なら1シリング
それまで火を起こすには、火打ち石と火口箱で火花を作り、火種を育てる必要がありました。手元でこするだけで炎が出ること自体が、新しい体験でした。
こすっただけで燃える仕組み
物が燃えるには、燃える材料と酸素と熱の3つがそろう必要があります。ウォーカーの薬は、硫化アンチモンと塩素酸カリウムを同じ量ずつ混ぜ、ゴムの溶液で固めた物でした。
塩素酸カリウムは、熱が加わると酸素を放つ薬品です。硫化アンチモンは、よく燃える材料の役をします。燃えるための材料と酸素が、最初から粒の中に同居している訳です。こすったときの摩擦熱が引き金になって反応が始まり、その熱で軸の硫黄、さらに木へと火が移ります。
今のマッチも、基本の考え方は同じです。違うのは、燃えやすい成分を「軸の頭」と「箱の側面」に分けたことです。東京消防庁によると、今の安全マッチの成分は次のとおりです。
| 場所 | 主な成分 | 役割 |
|---|---|---|
| 軸の頭(頭薬) | 塩素酸カリウム約50%/膠13%/ガラス粉20%/けいそう土7%/雲母粉4%/松ヤニ2%など | 酸素を出す薬が中心。松ヤニは燃焼を助け、頭を固める |
| 箱の側面(側薬) | 赤リン約54%、硫化アンチモン19%、接着剤27% | こすれた所で火種を作る |
頭薬だけ、側薬だけでは火はつきにくく、両方がこすれ合ったときだけ火がつきます。ウォーカーのマッチは薬を1か所に集めていたため、壁や床でもこすれば燃えました。安全マッチは、燃えやすさの役を2つに分けることで、ポケットの中で勝手に燃える危険を減らしています。
よくある誤解
誤解1:ウォーカーが「こすって火をつける」を最初に考えた。東京消防庁の資料によると、1816年にはフランスで、黄リンを使った摩擦で火をつけるマッチが考案されていました。ただし実用にはならず、実用的な摩擦マッチの始まりは1827年のウォーカーとされています。
誤解2:最初のマッチにもリンが入っていた。ウォーカーの薬は、硫化アンチモンと塩素酸カリウムでできていました。リンが使われ出したのは、もっと火がつきやすいマッチが求められた1830年代以降です。
誤解3:「ルシファー」はウォーカーが付けた名前。ルシファーの名で売ったのは、ロンドンの薬剤師サミュエル・ジョーンズです。同じような品を安く売り出し、ウォーカーは1830年までに製造をやめました。ウォーカーは特許も取っていません。科学者ファラデーに勧められても「人々の役に立つのだから、自由に使ってもらえばいい」という趣旨の言葉を残しています。ファラデーが1829年にロンドンの講演で紹介したことで、仕組みは広く知られました。
白リンマッチが残した傷
リンを使ったマッチは、どこでこすっても火がつく便利さで広まりました。その陰で、作る人が大きな代償を払っています。
スミソニアン誌によると、19世紀のイギリスでは数百の工場で、働き手が1日12〜16時間も木の軸をリンの液に浸していました。働き手の多くは女性と子どもで、半数は10代にもならない子どもでした。リンの蒸気を吸い続けた人の約11%が、あごの骨が壊れていく「リン顎」にかかり、多くは5年ほど吸い続けた後に症状が出ました。
規制には長い時間がかかりました。1906年のベルン条約で、白リンマッチの禁止が国際的に約束されます。工業製品を国際的に禁じようとした、最初の試みといわれています。イギリスでは1908年に禁止法が成立し、1910年1月1日から施行されました。アメリカでは1912年、100本につき2セントの税をかける法律で、白リンのマッチは事実上作れなくなりました。
身近なマッチのいま
日本でマッチ作りが始まったのは明治の初めです。フランスで製法を学んだ元金沢藩士の清水誠が、1875年に東京で製造を始め、翌1876年に本所に工場を建てて「新燧社」と名付けました。
日本のマッチは、種類の多さと品質で海外でも評価され、大事な輸出品になりました。雨が少なく温暖で、神戸港にも近い兵庫県の姫路から神戸にかけての一帯は、マッチ産業の一大集積地になります。
流れが変わったのは1973年、100円の使い切りライターが登場してからです。ガスコンロや石油ストーブも自動で火がつく形になり、マッチの出番は急に減りました。兵庫県の神戸マッチでは、2010年ごろの生産量が最盛期の約20%になっていました。姫路市の日東社は、国内でただ1社続けていた紙のブックマッチの製造を、2022年6月の受注分で終えています。1982年の最盛期に約5億個あった生産量は、400分の1にまで減っていました。
それでも、44本入りで20円ほどの小箱は、今も作られ続けています。同じリンでも、白リンは危険で赤リンは扱いやすい。その違いを元素の性質から確かめるなら、元素ごとに写真で並べた図鑑が手がかりになります。
よくある疑問
- 安全マッチは、箱の側面以外でこすっても火がつきませんか?
- つきにくい作りです。火種を作る赤リンは箱の側面(側薬)にあり、軸の頭(頭薬)には入っていません。そのため、頭薬と側薬がこすれ合ったときに火がつくように作られています。
- ウォーカーは発明でお金持ちになりましたか?
- 特許を取らなかったので、発明そのものでは大きな利益は得ていません。地元の博物館群によると、マッチの販売は成功し、ウォーカーはゆとりを持って引退できました。ただし、1859年5月1日に亡くなったときも、発明者として広く知られてはいませんでした。
まとめ
マッチは1826年、銃の薬を研究していたウォーカーの、かき混ぜ棒から偶然生まれました。こすると燃えるのは、酸素を出す塩素酸カリウムと燃える材料が、最初から一緒になっているからです。今の安全マッチは、火種の赤リンを箱の側面に分けて、勝手に燃える危険を減らしています。
手元にマッチ箱があれば、側面のざらざらした帯を見てください。そこに塗られた赤リンと軸の頭が出会うと、約200年前と同じ化学反応が始まります。
参考にした資料