雑学

コロッセオに開閉式の日よけがあったって本当?Ÿ

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
コロッセオに開閉式の日よけがあったって本当?Ÿ

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本当です。コロッセオの上には、布でできた開閉式の日よけがありました。ウェラリウムと呼ばれ、最上部に立てた木の柱から綱を張り、布を広げる仕組みです。

柱を支えた石は今も240個残り、日よけを扱った水兵は古代の文献にも登場します。ただし、どんな形に張り、どこまで覆えたのかは推定にとどまります。この記事では、確かな事実と推定とを分けて見ていきます。

結論:日よけは確かにあった

日よけがあった根拠は、建物と文献の両方に残っています。

3つ目のカリグラの話は、日よけが「開け閉めできた」ことの証拠にもなります。ローマの歴史家スエトニウスによると、カリグラは剣闘士の見世物で、日差しが最も強い時間にわざと日よけを引き戻させました。そのうえで、だれも外へ出てはならないと命じたといいます。カリグラの在位は37年から41年で、コロッセオができる前の話です。日よけを出し入れする技術は、コロッセオより前からあったことになります。

仕組み:屋根ではなく、柱と綱と布

コロッセオは、70〜72年ごろにウェスパシアヌス帝のもとで建設が始まり、80年に息子のティトゥス帝の代で完成しました。長さ約189メートル、幅約156メートル、外壁の高さは約48メートルです。

この広さを石の屋根でまたぐことは、当時の技術ではできません。ローマで最大のドームを持つパンテオンでも、内側の直径は43.3メートルです。パンテオンのドームは、鉄筋を使わないコンクリートのドームとして、今も世界最大とされています。それでも、コロッセオの長さの4分の1にも届きません。

外壁そのものは、10万立方メートルを超えるトラバーチンという石灰質の石でできています。石と石はモルタルを使わず、鉄のかすがいでつなぎました。240個の受け石は、この外壁のいちばん上の階に並んでいます。

そこで使われたのが、軽い布を綱で吊る方法です。最上段の受け石に木の柱を立て、柱から内側へ綱を張って、布を引き出したと考えられています。船の帆を張る仕組みに近い方法です。

日よけは観客席に影をつくりました。それに加えて、空気を上へ抜く流れを生み、涼しい風を通す効果もあったとされます。

コロッセオの収容人数は、354年の暦の記録に8万7000人とあります。現代の研究では、およそ5万人と見られています。それだけの観客が、朝の猛獣狩りから午後の剣闘士の試合まで、長い時間座り続けました。夏のローマで日なたのままでは、観客の方が先にまいってしまいます。

動かしたのは艦隊の水兵

大きな布と綱を扱う技術が最も進んでいたのは、船の世界でした。コロッセオの日よけは、ナポリに近い軍港ミセヌムの艦隊の水兵が扱ったとされます。帆を作り、綱を操る仕事に慣れた人たちです。

古代の文献にも、その姿が出てきます。『ヒストリア・アウグスタ』のコンモドゥス帝の伝記です。剣闘士として闘技場に立つことを好んだ皇帝は、観客に笑われていると思い込みました。そして、円形闘技場で「日よけを張る水兵」に観客を殺させるよう命じた、と書かれています。物騒な話ですが、水兵が闘技場の日よけ係として知られていたことを示す記録です。

よくある誤解:屋根で全体を覆っていた?

コロッセオの日よけについては、言い過ぎた説明もよく見かけます。代表的なものを3つ挙げます。

誤解1:観客席を全部覆っていた。日よけが影をつくれたのは、闘技場の3分の1ほどまでとする説明があります。資料によって数字は違い、どこまで覆えたのかは決着していません。少なくとも、闘技場全体を屋根のように閉じていた、という根拠はありません。

誤解2:コロッセオが日よけを発明した。布の日よけは、コロッセオより前からありました。1世紀の博物学者、大プリニウスが『博物誌』第19巻にその歴史を書いています。

大プリニウス『博物誌』などに出てくる日よけ
人物場所記録の内容
クィントゥス・カトゥルス劇場カピトリウムの神殿の奉献で、初めて劇場に日よけを使った
レントゥルス・スピンテル劇場アポロンの祭りの見世物で、上質な亜麻布の日よけを張った
独裁官カエサルフォルム・ロマヌム広場全体と聖なる道を布で覆い、剣闘士の試合より驚かれた
マルケルス(アウグストゥスの甥)フォルム・ロマヌム見世物のない日に、裁判に集まる人のために広場を覆った
ネロ帝円形闘技場綱で張った空色の布に、星を散らした日よけ
カリグラ帝剣闘士の見世物暑い時間に日よけを引き戻させた(スエトニウス)

誤解3:千人の水兵が動かした。この人数は後世の見積もりで、古代の記録に書かれた数字ではありません。水兵が扱ったことは記録に残りますが、何人いたかは分かっていません。

身近な例:ほかの闘技場にも跡がある

開け閉めできる日よけは、コロッセオだけのものではありません。ローマ帝国の各地で、わりと広く使われていました。南フランスのニームにある円形闘技場にも、柱を受けた穴と支えの石が残っています。

イタリアのポンペイでは、見世物の広告の落書きに「日よけあり(ウェラ・エルント)」という文句が書かれていました。今の催しのチラシに「屋根付き会場」「冷房完備」と書くのと同じで、日よけは客を呼ぶ売り文句でもありました。ポンペイの円形闘技場で起きた騒ぎを描いた壁画にも、日よけが描かれています。

観客の動き方にも、今の競技場に通じる工夫があります。コロッセオの1階には番号を振った入口が80あり、そのうち76が一般の観客用でした。席は身分ごとに分かれていました。元老院議員が最前列に座り、その上に騎士、さらに上に市民が並びます。番号の付いた入口から自分の席へ向かう流れは、今のスタジアムのゲート番号とよく似ています。

家の中にも、同じ発想の布がありました。大プリニウスは、家の中庭を覆う日よけは赤い布が多かった、と書いています。理由の1つは、中庭に生えるコケを日差しから守るためでした。

コロッセオがどう建てられ、どんな催しがあったのか。日よけの話の先には、ローマ帝国の都市や社会のしくみがあります。帝国の歴史を通して知りたいなら、考古学者が若い読者向けに書いた新書が入口になります。

よくある疑問

日よけの布は、今も残っていますか?
残っていません。布や木の柱は朽ちてしまいました。現在のコロッセオで確かめられるのは、柱を受けた石と、柱を差し込んだ穴の並びです。形や大きさの復元は、この石の配置と文献をもとにした推定です。
日よけの布は、何色だったのですか?
コロッセオの布の色は分かっていません。大プリニウスは、ネロ帝の円形闘技場の日よけを「空のような青に染め、星を散らしたもの」と書いています。詩人ルクレティウスは、劇場の日よけとして赤や黄、鉄のような灰色の布を書き残しています。

まとめ

コロッセオには、布でできた開閉式の日よけがありました。確かな根拠は、外周に並ぶ240個の受け石と、日よけを扱う水兵が出てくる古代の記録です。一方で、どこまで覆えたのか、何人で動かしたのかは分かっていません。

次にコロッセオの写真を見るときは、いちばん上の縁を目でたどってみてください。等間隔に並ぶ四角い穴と突き出た石が、日よけの柱を受けた跡です。

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