雑学

一定量を超えるじゃがいもは運べない、オーストラリアの珍ルール

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
一定量を超えるじゃがいもは運べない、オーストラリアの珍ルール

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西オーストラリア州には、2016年まで、じゃがいもを自由に売り買いできない法律がありました。生で食べるじゃがいもは州の販売公社を通さないと売れず、50キロを超えて積んだ車の運転手は取り締まりの対象になり得ました。

法律の名前は「じゃがいも販売法(Marketing of Potatoes Act 1946)」です。1946年に生まれ、2021年に条文ごと消えるまで、75年続きました。この記事では、法律の中身と自由化までの出来事を、年を追って紹介します。

1946年、じゃがいもの売り方を州が決めた

第二次世界大戦が終わった翌年の1946年、西オーストラリア州はじゃがいも販売法を定めました。法律番号は1946年第26号で、州総督の裁可は1947年1月14日です。法律の題名が掲げる目的は、生食用じゃがいもの販売と処分を定め、その生産を制御することです。

前身の法律もありました。じゃがいも販売法は、戦争中の1941年にできた「じゃがいも生産者免許法」を廃止して置き換えています。作り手を免許で管理する仕組みに、売り方の管理を重ねた形です。

実務を担ったのは、同じ法律で作られた「西オーストラリア州じゃがいも販売委員会」です。委員会はのちに「販売庁」さらに「じゃがいも販売公社」と名前を変え、2016年までの70年間、州の市場を管理しました。公社は国や州のお金ではなく、生産者が払う免許料で運営されていました。

50キロの決まりは何を禁じていたのか

対象は「生食用じゃがいも」です。法律の定義では、州内で育って人が食べるために売られるもので、洗浄と選別以外に手を加えていないものを指します。ポテトチップスのような加工品は含みません。

中心は第22条でした。売る側は、公社か公社が認めた代理人にしか、生食用じゃがいもを売ったり引き渡したりできません。買う側も、生産者などから直接買うことは禁じられていました。

50キロという数字は、この第22条の中に2回出てきます。1つは、50キロを超えるじゃがいもを積んだ車の運転手を、そのじゃがいもを管理している人とみなす規定です。もう1つは、50キロを超えて持っていれば全部が1回の取引で手に入れたものと一応みなす、という規定でした。

罰金は、初めての違反で最大2,000豪ドル、2回目からは最大5,000豪ドルです。さらに、じゃがいもの価値の最大2倍を上乗せできました。価値は、違反した日ごろの公社の卸値で計算します。

「50キロ以上のじゃがいもを運ぶと違法」と紹介される例がありますが、これは正確ではありません。法律が禁じたのは、公社を通さない売買と引き渡しです。50キロの規定は、取引の証明を容易にするための線引きでした。公社は、少しだけ育てる場合や地元の消費者・小売店へ直接売る場合などを、告示で例外にできました。

品種も量も公社が決めた

作る側の自由も限られていました。商業的にじゃがいもを育てる人は公社に登録し、免許を受けた土地にだけ植えられます。登録や免許を認めるかどうかは、公社が判断しました。

売ってよい品種も決まっていました。公社が認めていたのは11品種で、デジレやキプフラー、ロイヤルブルーなどです。市場に出る量は年に約5万トンで、免許を持つ生産者は2004年の151人から、2014年には78人まで減っていました。

法律は公社の役目を、州の消費者が好む量・種類・品質のじゃがいもを確実に届けること、と定めていました。作りすぎて値崩れするのを防ぎ、足りなくなるのも防ぐ。そのために、誰がどこでどれだけ作るかを1か所で決める仕組みです。

「じゃがいも王」の反乱

この仕組みに正面から逆らったのが、パースでスーパー「スパッド・シェッド」を営むトニー・ガラティです。地元紙からは「じゃがいも王」と呼ばれました。

最初の衝突は1998年です。公社は、到着が遅れたことを理由に、ガラティのじゃがいもを積んだトラックの受け取りを断りました。ガラティは行き場を失ったじゃがいもを無料で配り、公社の廃止を訴えます。2013年には公社と商業上の取り決めを結びましたが、争いは終わりませんでした。

2015年11月、公社の申し立てを受けた州の最高裁判所は、ガラティの会社が10月4日から翌年1月2日までに作れる量を1,049トンまでとする差し止め命令を出しました。ガラティは翌日、新しい店の開店に合わせて最大100トンのじゃがいもを無料で配ると宣言します。「刑務所に入るのも怖くない」とまで語りました。ガラティ側の弁護士は、約70年前の州法が国の競争法に反すると主張する構えでした。

反対の声もありました。約80人の生産者でつくる州のじゃがいも生産者協会は、公社の申し立てを支持しました。協会の会長は、自由化に向かう中で小さな生産者を守るために裁判が必要だと説明しています。公社は、ガラティが2013年の取り決めを守らず、ほかの生産者に大きな損失が出たとして損害賠償も求めていました。結局ガラティは、命令の上限より150トン多く作ったことを認めました。2017年6月、法廷侮辱で4万豪ドルの罰金と、州側の弁護士費用20万豪ドルの支払いを命じられています。

2016年、70年続いた仕組みが終わる

終わりのきっかけは、競争を妨げているという批判でした。国の競争政策の見直し(ハーパー・レビュー)や州の経済規制庁は、公社を「競争を制限する規制」の例として取り上げました。州政府は2015年、2年以内に公社を廃止すると決めます。

2016年4月14日、州の農業食料大臣ディーン・ナルダーが具体的な日程を発表しました。狙いは、じゃがいも作りに消費者の選択と競争を開くことだと説明しています。市場は7月に自由化し、公社は年内に廃止する。生産者への移行支援は1,400万豪ドルで、1,200万豪ドルを生産者へ直接支払い、200万豪ドルを産業の振興に充てます。ただし、外部の調査会社ACILアレンの報告書は約2,400万豪ドルを勧めていました。生産者の側には、少なすぎるという不満が残りました。

2016年9月に公社を廃止する法律が議会を通り、公社は12月31日に姿を消しました。じゃがいも販売法そのものが廃止されたのは、2021年5月22日です。

年表と、いま残っているもの

じゃがいも販売法の年表(州の法令データベースと報道をもとに作成)
年出来事
1941年じゃがいも生産者免許法ができる
1946年じゃがいも販売法ができ、販売委員会が置かれる(裁可は1947年1月14日)
1998年公社がガラティのトラックを受け取らず、ガラティはじゃがいもを無料で配る
2014年免許を持つ生産者が78人になる
2015年州が公社の廃止を決める。11月、最高裁がガラティの生産量に上限を付ける
2016年7月に市場を自由化。12月31日に公社を廃止
2017年ガラティに法廷侮辱で4万豪ドルの罰金
2021年5月22日、じゃがいも販売法が廃止される

いまの西オーストラリア州に、販売法による量や売り先の決まりはありません。残っているのは、州の法令データベースに「廃止」と記された条文と、この75年の記録です。

じゃがいもを法律で管理したのは、西オーストラリア州だけではありません。飢饉を防ぐ食料として、じゃがいもは多くの国で政治と結びついてきました。その世界の歴史をたどるなら、新書が1冊にまとめています。

変わった法律に見えても、たいていは当時の事情が形になったものです。旅先やSNSで「珍しいルール」を見かけたら、いつできて、いつ終わったのかまで確かめてみてください。笑い話が、その土地の歴史に変わります。

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