七面鳥で実りに感謝するアメリカの行事とは
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感謝祭(サンクスギビング)は、11月の第4木曜日に、家族や友人が集まって収穫と日々の恵みに感謝するアメリカの祝日です。食卓の主役は大きな七面鳥の丸焼きです。
ただ、始まりとされる1621年の宴で、七面鳥が主役だったという記録はありません。七面鳥の定番化も、第4木曜日という日付も、あとから加わったものです。400年かけて今の形になるまでを、疑問に答える形でたどります。
感謝祭は、いつ、何を祝う日なの?
アメリカの感謝祭は、毎年11月の第4木曜日です。2026年は11月26日にあたります。法律で決まった連邦の祝日です。
祝う中身は、秋の実りと、1年の恵みへの感謝です。そのお手本として語られるのが、1621年の秋の収穫の宴です。いまのマサチューセッツ州プリマスで、イギリスからの入植者と先住民ワンパノアグの人々が開きました。
食卓のほかにも、この日ならではの行事があります。国立公園局によると、感謝祭のパレードは1920年にフィラデルフィアで始まり、ニューヨークのメイシーズのパレードは1924年に始まりました。1947年には、トルーマン大統領がホワイトハウスに贈られた七面鳥を「恩赦」しています。七面鳥の恩赦はその後、大統領の恒例行事になり、公文書館は2015年の式の写真も展示しています。
1621年の宴では、何があったの?
1620年に船メイフラワー号で渡ってきた入植者は、最初の冬に多くの仲間を失いました。プリマスの博物館(プリモス・パタクセット博物館)によると、冬を越して残ったイギリス人は50人あまり。成人の女性は4人だけでした。
翌年の秋、収穫を祝う場に、ワンパノアグの指導者マサソイト(ウサメキン)が約90人の男たちを連れて加わります。宴は3日間続き、少なくとも140人が参加しました。
この出来事を目撃者として書き残したのは、入植者エドワード・ウィンズローの1621年12月の手紙ただ1通です。手紙は翌1622年、植民地を紹介する小冊子に載ってロンドンで出版されました。
最初の宴で、七面鳥は食べたの?
ウィンズローの手紙に出てくる食べ物は、2つだけです。総督が4人を鳥撃ちに出し、1日でほぼ1週間分の鳥を仕留めたこと。マサソイトの一行が鹿を5頭仕留め、総督たちに贈ったことです。
七面鳥の名前は、手紙にはありません。ただ、植民地の総督ウィリアム・ブラッドフォードは、その秋に「野生の七面鳥がたくさんいた」と記録しています。博物館は、七面鳥が出た可能性は高いとしています。出たとしても、鹿肉や水鳥と並ぶ料理の1つでした。
| 分類 | 食べ物 |
|---|---|
| 記録にある | 鹿肉、野鳥 |
| 出た可能性が高い | 七面鳥、タラなどの魚、ムール貝やロブスター、ウナギ、トウモロコシのかゆやパン、豆やカボチャ |
| なかったと考えられる | ジャガイモ、パンプキンパイ、アップルパイ、クランベリーソース |
なかった物にも理由があります。ジャガイモは、当時まだイギリス人の食卓に広まっていませんでした。パイの生地に使うバターと小麦粉は足りず、プリマスにはリンゴの木もまだありません。クランベリーを砂糖で煮るレシピが本に載るのは、約50年後です。
いつから「最初の感謝祭」と呼ばれたの?
1621年の宴は、当時は感謝祭と呼ばれていませんでした。名前が付いたのは200年以上あとです。博物館によると、1830年代にニューイングランドの人々が、この宴を「最初の感謝祭」と呼び始めました。1841年には、アレクサンダー・ヤングが植民地の記録をまとめた本で、ウィンズローの手紙に「これが最初の感謝祭だった」と注を付けています。宴の様子が、ヤングの時代の感謝祭のごちそうに似ていたからです。
一方で、この物語を別の目で見る人たちもいます。先住民の中には、入植者との出会いを記念するこの日を、祝いの日と受け止めない人も少なくありません。アメリカ国立公文書館の展示によると、1970年代には、感謝祭の当日にプリマスで最初の「全国追悼の日」の抗議が開かれました。感謝祭は、立場によって意味の違う祝日でもあります。
七面鳥が主役になったのは、なぜ?
大きく効いたのは、作家で雑誌編集者のサラ・ジョセファ・ヘイルです。1788年生まれのヘイルは、1837年から40年にわたって、当時人気の女性誌『ゴーディーズ・レディーズ・ブック』の編集を担いました。
ヘイルは1827年の小説『ノースウッド』で、1章をまるごと感謝祭のごちそうの描写にあてました。1852年版では、ローストターキーが「この日いちばんの席を占めた」と書かれ、デザートの筆頭はパンプキンパイです。編集者になってからは、感謝祭を全国の祝日にしようと誌面で論説を書き続け、1848年には11月の最終木曜日を提案しています。七面鳥とパイの食卓は、この運動と一緒に広まりました。
定着ぶりは数字にも表れています。全米七面鳥連盟は、感謝祭に食べられる七面鳥を、2010年の時点で約4600万羽と見積もっていました。
全国の祝日になったのは、いつ?
感謝の日を全国に呼びかけた大統領は、それ以前にもいました。1789年、初代大統領ジョージ・ワシントンは、11月26日を感謝の日とする布告を出しています。ただ、毎年の決まった祝日にはなりませんでした。日付は州ごとにまちまちで、1847年に11月最終木曜日に祝ったのは、29州のうち24州でした。
ヘイルは日付をそろえるよう、知事や歴代の大統領に働きかけ続けます。国立公園局は、その運動を「36年がかり」と書いています。1863年9月28日、ヘイルは南北戦争のさなかのリンカーン大統領に手紙を送りました。5日後の10月3日、リンカーンは11月の最終木曜日を感謝の日とする布告を出します。文面を書いたのは、国務長官のウィリアム・スワードでした。1864年以降は歴代の大統領が毎年、最終木曜日を感謝祭とし、この形が1939年まで続きます。
なぜ「第4木曜日」なの?
きっかけは1939年です。この年は11月の最終木曜日が30日で、月の最後の日にあたりました。フランクリン・ルーズベルト大統領は、クリスマス前の買い物期間を延ばして景気を支えようと、感謝祭を1週間早めます。
アメリカ国立公文書館によると、32の州がこれに従い、16の州は最終木曜日のままでした。住む州によって感謝祭の日が違う状態が、2年にわたって続きました。
決着は1941年です。10月6日、下院は最終木曜日を正式な感謝祭とする共同決議を可決しました。上院はこれを「第4木曜日」に改めます。11月に木曜日が5回ある年でも、日付の決め方がぶれないようにするためです。12月26日にルーズベルトが署名し、11月の第4木曜日が法律で決まりました。
入植者の暮らしや、独立から南北戦争までの流れを一続きで知ると、この祝日がなぜ国をまとめる日として求められたのかが見えてきます。そうした通史は、記事より本のほうが追いやすい話です。
まとめ
感謝祭の原点とされる1621年の宴は、約90人のワンパノアグと50人あまりの入植者が、鹿肉と野鳥を囲んだ3日間でした。「最初の感謝祭」という呼び名は1830年代に生まれ、七面鳥の定番化は19世紀のヘイルの運動から進みました。全国の祝日になったのは1863年で、第4木曜日は1941年の決まりです。
今年の感謝祭は11月26日です。ニュースで七面鳥の丸焼きを見かけたら、400年前の食卓にはなかったパイやジャガイモの皿にも目を向けてみてください。
参考にした資料
- Plimoth Patuxet Museums — Eye-Witness Account of the 1621 Harvest Celebration
- Smithsonian Magazine — What Food Was Served at the First Thanksgiving in 1621?
- National Archives Museum — Thanksgiving: Historical Perspectives
- Plimoth Patuxet Museums — What did they eat at the 1621 harvest celebration?
- Plimoth Patuxet Museums — Sarah Josepha Hale
- National Archives(Center for Legislative Archives)— Congress Establishes Thanksgiving
- National Park Service — Lincoln and Thanksgiving
- Wikipedia — Sarah Josepha Hale
- NBC News — Talking turkey: How much do Americans eat on Thanksgiving?