雑学

設計した建築家が完成を見られなかった名建築とは

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了7分
設計した建築家が完成を見られなかった名建築とは

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シドニー・オペラハウスを設計したヨーン・ウツソンは、完成した建物を自分の目で見ていません。工事の途中で辞任し、1966年4月にオーストラリアを離れたきり、2008年に亡くなるまで戻らなかったからです。

ウツソンが残した最大の答えは、形の違う屋根の殻を「すべて同じ球から切り出す」という発想でした。この記事では建物の経緯をたどったあと、その仕組みを家のボールで確かめる方法と、写真や現地で屋根を観察するコツを紹介します。

設計者が完成を見なかった建物

始まりは1956年に開かれた国際設計競技です。集まった案は233点。1957年に選ばれたのは、当時38歳でほとんど無名だった、デンマークの建築家ヨーン・ウツソンの案でした。賞金は5000ポンド。帆にも貝殻にも見える白い曲面が、のちにオペラハウスの代名詞になります。

ただし、審査を通った時点では、その屋根をどう建てるかはだれにも分かっていませんでした。工事は1959年3月に始まります。計画では工期4年、費用700万豪ドルでした。

実際には14年かかり、費用は1億200万豪ドルにふくらみます。当初の見積もりの約14.6倍です。お金の多くは、州営の宝くじでまかなわれました。工事に関わった作業員は約1万人にのぼります。

屋根の作り方が決まらなかった3年

最大の難題は屋根でした。応募案の曲面は1枚ごとに曲がり方が違い、そのまま作れば部材の型を1つずつ用意する必要があります。費用も時間も、とても見合いません。

オペラハウスの公式サイトによると、ウツソンは1958年からプラスチックの定規で曲線を引き直し、構造を担当したオヴ・アラップ社の技術者と検討を重ねました。それでも1961年の終わりまで、建てられる形は見つかりません。州政府から、技術者の会社を替えてはどうかと持ちかけられたほどです。

答えは、デンマーク・ヘレベックの事務所で、ウツソンが1人で模型を見ていたときに浮かんだとされます。重ねた殻の模型が、どれも似た形に見えたのです。それなら、すべてを1つの決まった形、たとえば球の表面から取り出せるのではないか。

こうして、どの殻も半径75.2メートルの同じ球から切り出す設計が決まりました。曲がり方がそろえば、同じ型で部材を量産できます。この案は1962年1月にまとめた資料「イエロー・ブック」に盛り込まれました。なお英語版ウィキペディアは、この発想をだれが出したのかには異論もあると書いています。

辞任から開場、そして和解まで

1966年2月28日の正午、ウツソンは州の公共事業大臣デイヴィス・ヒューズと会いました。会談は15分ほどで終わり、大臣はその夜、ウツソンが辞任したと報道陣に伝えます。ウツソン自身は、追い出されたと受け止めていました。4月28日、家族とともにオーストラリアを発ち、二度と戻りませんでした。

工事はピーター・ホールらが引き継ぎ、1973年10月20日、エリザベス2世が開場を宣言します。和解が進んだのは、それから四半世紀あとのことです。

和解の仕事も、すべてオーストラリアの外から進められました。設計者は最後まで、完成した建物を写真と模型でしか知らなかったことになります。

2002年5月には、ウツソンがまとめた「ウツソン設計原則」が公表されました。建物の元の性格を保ちながら手を入れる、という考えを記した文書で、今も保存計画とあわせて改修の手引きになっています。設計者が去った建物は、設計者の考えに沿って手入れが続けられているのです。

「同じ球から切り出す」を家で確かめる

同じ球から切り出した曲面は、形や大きさが違っても曲がり方が同じです。これは家にあるボールで確かめられます。用意するのは中が空洞のやわらかいゴムボール(ビニールボールでも可)と油性ペン、はさみです。

  1. ボールの表面に、油性ペンで大きさの違う三角形を3つ描く。細長い三角形や、ずんぐりした三角形など、形も変える
  2. 大人がはさみで、描いた線に沿って3枚を切り出す
  3. 大きい1枚の上に、小さい1枚を重ねてみる。どの場所にずらしても、すき間なくぴったり重なる
  4. 次に、大きさの違う別のボールから切った1枚を重ねる。こちらは端が浮くか、真ん中が浮いて、ぴったりとは重ならない

3の結果が、ウツソンの答えの核心です。同じ球から取った部品どうしは、どこを切っても曲がり方が等しい。だから型を共通にできます。4の結果は、元の応募案の難しさにあたります。曲がり方が1枚ずつ違えば、部品も1つずつ作るしかありません。

屋根はこの考え方で、2,194個のコンクリート部材に分けて工場で作られました。1個の重さは最大15トンあります。

写真や現地で屋根を観察する

オペラハウスには、今では年に1090万人以上が訪れます。屋根は、近くで見るほど細かな仕組みが見えてきます。写真でも現地でも、次の順に見ると分かりやすくなります。

  1. 遠くから全体を見て、殻の数を数える。構造を担当したアラップ社は、屋根の帆を10枚と数えている。大きさも傾きも違うのに、どれも同じ球の一部だと思って見比べる
  2. 屋根の表面に近づき、タイルの色を見る。つやのある白と、つやを消したクリーム色の2色が混ざっている
  3. タイルの並びを見る。V字形(山形)に区切られた模様が、殻の曲面に沿って繰り返されている
屋根を形づくる数字(シドニー・オペラハウス公式サイト・Wikipediaをもとに作成)
項目数字
殻のもとになった球の半径75.2メートル
屋根のコンクリート部材2,194個(1個最大15トン)
屋根の最も高い点海面から67メートル
タイルの枚数1,056,006枚
タイル1枚の大きさ120ミリメートル角
タイルを貼った山形の板4,228枚

タイルはスウェーデンのヘガネス社が作りました。粘土に砕いた石を少し混ぜた焼き物です。職人が屋根に1枚ずつ貼ったのではありません。タイルを型の中に表を下にして並べ、山形の板ごと作ってから屋根に取り付けました。型は26台あり、底はどれも屋根の曲面に合わせてあります。ここでも「同じ曲がり方」が量産を支えています。

工事がどの順で進んだのか、殻がどう組み上がったのかは、写真や図で追うほうが頭に入ります。世界遺産の建物を並べて見比べるなら、図鑑が役に立ちます。

よくある疑問

ウツソンはオレンジの皮をむいていて球の案を思いついたのですか?
俗説です。オペラハウスの公式サイトは、この話を作り話としています。グレープフルーツやオレンジで薄い殻の屋根を説明したのは、別の建築家エーロ・サーリネンで、自作のTWAターミナルの話でした。
ウツソンが開場式を欠席したのは、招待が無かったからですか?
断定できません。「招待されなかった」という話が広く語られています。一方で英語版ウィキペディアは、招待されたものの、騒ぎが式を覆うのを避けて辞退したと書いています。確かなのは、設計者が開場の場にいなかったことです。

まとめ

シドニー・オペラハウスは、設計者のウツソンが辞任してから7年後の1973年に完成しました。ウツソンは2008年に亡くなるまで、完成した建物を見ていません。形の違う殻をすべて半径75.2メートルの同じ球から切り出す発想が、作れなかった屋根を作れる屋根に変えました。

家にボールがあれば、三角形を2枚切り出して重ねてみてください。ぴったり重なる手ざわりが、海辺の白い帆を支えた答えそのものです。

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