痛みを我慢するしかなかった手術を変えた、麻酔の一歩
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1846年10月16日、アメリカのボストンで、痛みのない手術がはじめて公開されました。歯科医のモートンがエーテルの蒸気を吸わせ、外科医のウォーレンが21歳の患者の首を切開したのです。
患者はあとで、痛みはなく「鈍い道具で皮膚を擦られたような感じ」だったと答えました。このニュースは世界に広まり、同じ年の12月21日には、ロンドンでもエーテル麻酔の手術が行われています。この記事では、日付と数字を軸に、手術が「耐えるもの」でなくなるまでをたどります。
数字で見る1846年10月16日
舞台はマサチューセッツ総合病院の、すり鉢状に客席が並んだ手術室です。1821年に建てられ、1867年ごろまで手術室として使われました。この間に行われた手術は6,000件を超えるといわれます。いまはエーテル・ドームと呼ばれ、1965年にアメリカの国定歴史建造物に指定されました。
患者は印刷工のエドワード・ギルバート・アボットです。米国国立医学図書館のデータベースに載った論文が、当時のカルテを読み直しています。主な数字を並べると次のとおりです。
- アボットの生年月日:1825年9月2日(手術の日は21歳)
- 入院した日:1846年9月25日
- 首の切開:カルテでは2.5インチ(約6センチ)
- 退院した日:1846年12月7日
首から顎の部分にあったのは、血管とリンパ管が異常に絡み合った生まれつきの塊でした。モートンは、地元のガラス職人に頼んだ吸入器を使いました。ガラス球に管をつないだ物で、当日の朝まで仕上がらず、到着が遅れたと記録されています。
手術は完全な成功ではありません。最初の切開ではアボットは身動きしませんでした。ところが血管を扱う場面で手足を動かし、声も上げています。それでも本人が「痛みはなかった」と証言したことが決め手になりました。執刀医ウォーレンの「諸君、これはペテンではない」という有名な一言は、13年後の本で初めて現れます。本当に言ったかは確かではありません。
公開実験までの年表
1846年は、全身麻酔の「最初」ではありません。痛みを消す試みは、それより前から何度も行われていました。
| 年月日 | できごと |
|---|---|
| 1800年 | イギリスのデービーが、笑気ガスは体の痛みを消せそうだと著書に書く |
| 1804年10月13日 | 紀州の華岡青洲が、飲む麻酔薬「通仙散」で60歳の女性の乳がん手術に成功 |
| 1842年3月30日 | アメリカの医師ロングが、エーテルを使って首の腫瘍を切除(発表は1849年) |
| 1844年12月11日 | 歯科医ウェルズが、笑気ガスで痛みのない抜歯を受ける |
| 1845年1月20日 | ウェルズが笑気ガスの公開実験を行うが、患者が痛みで声を上げて失敗 |
| 1846年9月30日 | モートンが、エーテルを使って抜歯する |
| 1846年10月16日 | エーテル・ドームで公開手術 |
| 1846年11月18日 | 同病院の外科医ビゲローが、4件の手術を論文で報告 |
| 1847年 | エディンバラのシンプソンが、クロロホルムを全身麻酔に使う |
| 1855年 | 杉田成卿が、日本で最初のエーテル吸入麻酔を行う |
ウェルズの失敗から、モートンの成功まで1年9か月。公開実験から論文の報告までは、わずか33日です。一度「本当に効く」と示されると、話は一気に進みました。
大西洋を越えるのにも時間はかかりませんでした。ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院では、1846年12月21日に外科医ロバート・リストンがエーテルを使って脚を切断しています。ボストンの公開手術から66日後のことです。このとき使われた吸入器の複製は、イギリスのサイエンス・ミュージアム・グループが所蔵しています。
年表のとおり、華岡青洲の手術はモートンより42年早い記録です。和歌山県立医科大学によると、患者は大和国五條(いまの奈良県五條市)の藍屋利兵衛の母、勘でした。青洲の記録『乳巌姓名録』には、その後に手術した乳がんの患者が152名載っています。
アメリカのロングも、1842年からエーテルを何度か手術に使っていました。ただしロングは結果を7年間発表せず、青洲の方法も国外にはほとんど伝わりません。「最初にやった人」と「世界を変えた人」が別人になったのは、そのためです。
モートンの公開実験が広まった理由は、場所と記録にあります。名の知れた病院の手術室で、多くの医師の前で行い、1か月ほどで論文になりました。青洲やロングの成功に欠けていたのは、この「見せて書いて広める」流れでした。
青洲が通仙散を完成させるまでの経緯や、ウェルズとモートンの関係には、ここでは書ききれない話がまだあります。人物同士のつながりを順に追うなら、医学の歴史を漫画でたどった本が入り口になります。
エーテルという物質の数字
エーテル(ジエチルエーテル)は、沸点が34.6℃の液体です。人の体温より低い温度で沸騰するので、常温でもどんどん蒸発します。吸入器のガラス球で蒸気を吸わせるやり方が成り立ったのは、この性質のおかげです。
一方で、燃えやすさは際立っています。引火点はマイナス45℃で、空気中の濃度が1.9〜48%の範囲だと爆発するおそれがあります。電子機器が並ぶ現代の手術室では危険が大きく、先進国では麻酔薬として使われなくなりました。
吸い込んだ蒸気は肺から血液に溶け込み、脳に届いて意識や痛みの感覚を失わせます。ただし、脳のどの回路がどう変わって意識が消えるのかは、今も研究が続いています。広島大学の研究計画(2022〜2023年度)も、意識が消えて戻る詳しい仕組みはまだ分かっていない、という前提から出発しています。180年近く毎日使われてきた技術なのに、仕組みの解明は途中なのです。
「麻酔」という言葉の由来
モートンは自分の薬を「レテオン」と名づけて売り出し、1846年11月に特許も取りました。ここで別の名前を提案したのが、医師で詩人でもあったオリバー・ウェンデル・ホームズです。
ホームズは公開手術から36日後の1846年11月21日、モートンへの手紙で「この状態はアネスシージアと呼ぶべきだと思う」と書きました。感覚がない、という意味の言葉です。ただし言葉そのものは新しく作られた訳ではありません。手紙の中でホームズ自身が、リンネやカレンといった学者が、触っても感じない状態を指して使っていたと説明しています。
特許はのちに効力のないものとされ、レテオンという商品名も消えました。残ったのは、ホームズが勧めた言葉のほうです。日本語の「麻酔」という語も、1850年の蘭学の本『済生備考』の第2巻にすでに使われています。著者の杉田成卿は、杉田玄白の孫にあたります。
よくある疑問
- 「諸君、これはペテンではない」は本当に言われた言葉ですか?
- 確かではありません。当時のカルテを調べた論文によると、この一言が初めて文字になったのは1859年の本で、手術から13年後です。ウォーレンは1856年に亡くなっており、本人が言ったことを示す、それより前の記録は見つかっていません。
まとめ
1846年10月16日、21歳のアボットはエーテルを吸って首の手術を受け、痛みはなかったと証言しました。最初の全身麻酔は1804年の華岡青洲で、ロングも1842年にエーテルを使っていました。それでもこの日が転換点になったのは、公開の場で示し、33日後には論文になったからです。
エーテルは燃えやすさのために手術室から姿を消しましたが、「アネスシージア」という呼び名は今も使われています。年表の日付を手がかりに、10月13日の華岡青洲と10月16日のモートン、2つの「最初」を比べてみてください。
参考にした資料
- Massachusetts General Hospital — The Ether Dome
- PMC(米国国立衛生研究所) — Ether Day Revisited: The Surgical Records of Edward Gilbert Abbott
- 和歌山県立医科大学附属病院紀北分院 — 華岡青洲の乳がん手術
- Wikipedia — Ether Dome
- Wikipedia — History of general anesthesia
- Science Museum Group — Copy of the Squire-type ether inhaler first used in 1846
- General-anaesthesia.com — "Anæsthesia" and "Anæsthetics"(ホームズの手紙)
- Wikipedia — ジエチルエーテル
- 科学研究費助成事業データベース — 全身麻酔薬を用いた認知神経回路の解明(広島大学)
- 東京大学デジタルアーカイブポータル — 済生備考