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1キログラムの基準はもう金属の重りではない

2026年7月公開 · 2026年10月更新 · 読了8分
1キログラムの基準はもう金属の重りではない

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1キログラムの基準は、2019年5月20日に金属の分銅から物理定数へ切りかわりました。それまでの130年間、世界中の重さはパリ郊外に保管された1個の分銅がよりどころでした。

その分銅は、年月とともにごく僅かに変化します。だから今の1キログラムは、変わることのない「プランク定数」という数値から導かれています。水1リットルから始まった重さの基準が、どんな人の手を経て今の形になったのか。時代を追って見ていきます。

水1リットルから始まった(18世紀末〜1875年)

キログラムの出発点は、フランス革命のころのフランスです。米国立標準技術研究所(NIST)の解説によると、国王ルイ16世のもとの委員会は、氷が溶ける温度の水1リットルの質量を重さの単位にしようと提案しました。その後の共和国は、1グラムを摂氏4度の水1立方センチメートルの質量と定めます。

ただ、水は温度や純度で重さが変わり、毎回量るのも手間です。そこで1799年6月22日、白金でできた分銅「アルシーブ(公文書館)のキログラム」が基準として採用されました。基準が「自然の物」から「人が作った物」に移った最初の一歩です。

この基準を世界で共有しようという動きが、1875年5月20日のメートル条約です。アメリカを含む17か国が署名し、長さと質量の国際的な原器を作ることを決めました。今の「世界計量記念日」は、この署名の日にちなんでいます。

1889年、1個の分銅が世界の基準に

1889年の第1回国際度量衡総会で、国際キログラム原器の質量を1キログラムとする定義が決まりました。原器は白金90%、イリジウム10%の合金でできた円筒で、直径も高さも約39ミリメートルです。白金だけの分銅より、すり減りにくい材料が選ばれました。

原器と同じ地金からは、40個の複製が作られました。同じ総会で、複製は原器と比べて値を付けたうえで加盟国に割り当てられています。1901年の第3回総会では、「キログラムは質量の単位であり、国際キログラム原器の質量に等しい」とあらためて宣言されています。

日本は1885年(明治18年)にメートル条約に加盟し、原器を注文していました。産業技術総合研究所(産総研)の資料によると、日本に割り当てられたのは複製のNo.6です。1889年にパリで受け取り、メートル原器とともに船で運ばれ、1890年に日本に着きました。最初に管理したのは農商務省です。

日本の原器がたどった道(1890年〜1991年)

No.6は、時代の波をくぐり抜けてきました。1903年には東京・銀座にできた中央度量衡器検定所の管理となります。太平洋戦争中の1944年には、茨城県の柿岡地磁気観測所へ疎開しました。戦後の1946年に検定所へ戻っています。

原器は数十年おきにパリへ運ばれ、国際キログラム原器と比べ直されました。日本のNo.6は、2回目の定期校正で1950年に、3回目で1991年に比べられています。1991年の結果は「1キログラム+0.176ミリグラム」。国際キログラム原器より、176マイクログラムだけ重いという値です。

保管の仕方も念入りです。原器は大きさの違う2重のガラス容器に覆われ、130年前から使われてきた鉄製の金庫に入っています。金庫の内側には桐が張られています。1980年には、研究所の移転に合わせて東京・板橋から筑波の新しい庁舎へ運ばれました。

キログラムの基準の年表
年できごと
18世紀末フランスで、水の質量をもとにした重さの単位が決まる
1799年白金の分銅「アルシーブのキログラム」を基準に採用
1875年17か国がメートル条約に署名
1885年日本がメートル条約に加盟
1889年国際キログラム原器の質量を1キログラムと定義
1890年日本国キログラム原器(No.6)が日本に到着
1944年No.6を茨城県の柿岡へ疎開
1946年2回目の定期校正で、複製と原器のずれが見つかる
1978年英国のキッブルが、のちのキッブルバランスとなる装置を初めて作る
1989〜1991年3回目の定期校正で、ずれが確かめられる
2018年11月国際度量衡総会がプランク定数による新定義を承認
2019年5月20日新しい定義が始まる
2022年3月日本国キログラム原器が国の重要文化財に

原器と複製のずれが見つかる(1946年〜)

国際度量衡局(BIPM)によると、1946年に始まった2回目の定期校正で、各国の複製の質量が平均して国際キログラム原器から離れていることが分かりました。1989〜1991年の3回目でもこの傾向は確かめられ、1889年に作られた複製のずれの中央値は約25マイクログラムでした。

NISTは、公式の複製の多くが原器に対して重くなる方向にずれ、その差は100年でおよそ50マイクログラムに達したと説明しています。1キログラムの2,000万分の1にあたる差ですが、世界の基準としては見過ごせない大きさです。

やっかいなのは、原器が軽くなったのか、複製が重くなったのかを決められない点です。原器そのものが1キログラムの定義なので、正解を教えてくれる相手がいません。産総研は、原器の安定性は1億分の5程度が限界だったと説明しています。各国が複製を何個も持ち、互いに比べ合うのはこのためです。2個だけでは、差が変わってもどちらが動いたのか分かりません。3個以上あれば、組み合わせを変えて比べることで、動いた分銅を推し量れます。

定数で決める時代へ(1978年〜2019年)

新しい定義は、測るのをやめて数値を固定するという発想でできています。プランク定数を6.62607015×10−34ジュール秒と定め、もう測り直さないことにしました。ジュール秒は「キログラム・メートルの2乗・毎秒」に分解できる単位です。メートルは光の速さ、秒は原子の振動ですでに固定されているので、残るキログラムが自動的に決まります。

定数を実際の重さに変える方法は、2つの流れで磨かれてきました。1つは、英国国立物理学研究所のブライアン・キッブルが1978年に初めて作った装置です。皿にのせた分銅にかかる重力と、磁石の中のコイルに電流を流して生まれる力をつり合わせます。次に分銅を外し、同じコイルを一定の速さで動かして、生じる電圧を測ります。この2段構えにすると、磁石の強さのような測りにくい量が計算から消えます。2016年にキッブルが亡くなったあと、装置はキッブルバランスと呼ばれるようになりました。

もう1つは、シリコンの単結晶で作った球の中の原子を数える方法です。産総研では1988年に5人の研究グループができ、2004年には国際アボガドロプロジェクトが始まりました。質量数28のシリコンだけを集めた結晶は、2007年に純度99.99%に達します。直径約94ミリメートルの球の直径を、0.6ナノメートルほどの精度で測りました。2017年、定数の値を決めるのに使われた8つのデータのうち4つが、日本も中心となったこのプロジェクトから出ています。

そして2018年11月、フランスのベルサイユで開かれた国際度量衡総会が、新しい定義を承認しました。施行はメートル条約の署名と同じ日付の、2019年5月20日です。

いま残っているもの

定義が変わっても、1キログラムの重さそのものは動いていません。新旧の定義が滑らかに繋がるよう、プランク定数の値が選ばれたからです。産総研も、この変更による一般の利用者への影響はないとしています。体重計や台所のはかりの目盛りは、そのまま使えます。

変わったのは、基準の作り方です。日本では、計量法で国の基準となる「特定標準器」が替わりました。日本国キログラム原器という1個の分銅から、シリコンの球をもとに値を付けた多くの分銅の集まり「標準分銅群」へ移ったのです。No.6はその一員として、今も質量の標準を支えています。2022年3月には、2012年に指定されていた日本国メートル原器などに加わる形で、国の重要文化財になりました。

メートルは光の速さ、秒は原子の振動と、ほかの単位はすでに自然の数値で決まっていました。キログラムは、物に頼る最後の基本単位だったわけです。単位同士の繋がりを図で見比べると、キログラムの改定がどこに位置するのかがよく分かります。単位の全体像をつかむなら、写真と図でまとめた図鑑が入り口になります。

単位の歴史は、人が作った物を手放して、自然界の数値に預けてきた歴史です。次に体重計に乗るときは、その1キログラムがパリの分銅ではなく、宇宙のどこでも同じ定数から来ていることを思い出してみてください。

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